ピアニスト・タカの脱線CD評

FLAT122キーボードとして活躍・ピアニスト・タカ音楽評

スマラ・ラティ「ガムラン変貌」/就寝前はNG?

踊り抜き、純粋に音楽としてガムランを聴いてみると、、!

8月中旬、家族旅行で訪れたバリ島。25年ぶりのバリ島は空港付近の様変わりから始まって、その変貌ぶりに驚いたのですが、滞在2日のウブドまで行ってみるとバリの良いところが残っているように思いました。数年前に訪れたペナンもそうですが、観光地の近代化は以前持っていた長閑な雰囲気、街のイメージを大きく変えてしまいます。ただ、バリ島には私にとって最後の砦があります。

ガムランです!

ガムランは大小の打楽器を組み合わせた合奏団と踊り手の混合芸術です。バリ島に限らずジャワ地方、またタイにも似た様式のものがあります。しかし、その内容の激しさ、技術的なところではバリガムランガムランの代名詞になっているところがあると思います。バリ以外のものは何かノンビリと間延びした印象受ける筆者なのです。さて、ウブド観光の夜に聴いた(見た)のがスマラ・ラティのパフォーマンス。本作を聴くとあの感動の夜が蘇るわけですが、ひとつ大きくことなるところがあります。
それは踊り手の存在です。
踊り手はそれはそれで唯一無二の美しい動作が魅力です。また合奏団との関係性も見過ごせない要素で、このスマラ・ラティの超絶技巧と踊り手のシンクロ具合の凄さは是非ご覧になっていただきたい!と切に思うものです。とは言うものの、自分として音楽だけを取り出して聴いてみたいという気もします。帰国して即行で手に入れた本CDは録音も素晴らしく、この現代的なガムランを楽しむ音楽ファンにとって十分な内容を持っていると思います。ひとつだけ引っかかるところをあるとすれば、本作が少し古い収録となるところです。スマラ・ラティは常に深化し新しいことに貪欲な集団です。2002年にアメリカの作曲家、エヴァンジボリが自作を彼らのために捧げましたが、実際にバリを訪れてレクチャーしたという話が伝わっております。その後の一連の変貌が音として分かるアルバムが欲しい。今現在、その作品の演奏内容は円熟の極地に達しており、もはや曲をなぞっている段階を遥かに超えて彼らの音として伝わって来る。
さて、本作に話を戻しましょう。
改めて冷静に聴いてみると、あの例の金属的なサウンドには個人差による微妙なズレを生じており、ウブドで聴いた時のようなイメージとは異なることが分かります。しかし、コレこそが人間の行う音楽なのであり、シーケンサーガムランを奏でさせることは可能でしょうけれど、それは音楽としては全く違うものとなり意味を成さないと思います。ブレイクからの入り方、無音から一気に畳み掛ける音の洪水、このダイナミクス。そして各打楽器で超高速で奏でられる(打ち出される)フレーズは上記で述べたように微妙な人間的ズレによって、何とも言えないカオスな音響を生み出していくことになります。
ここでスマラ・ラティに付いて簡単にご説明しますと、この楽壇は1989年にバリ南部のアーティストにより結成されております。(インドネシア国立芸術大学の卒業生を中心とする、、という説明もあります。)
結成の中心となったのは踊り手の中心となるアナッ・アグン・アノム・プトラ(以下アノムさん)さんで、この方の踊りはウブドで実際に見ることが出来ましたが、その両目を中心とする独特な表情と手足の動きが素晴らしいもので、音楽内容と共に他のガムランと一線隔てている部分と思われます。その動きと表情を唖然として見ていると、まるで何かがヒョウイして人間とは違う、表向き人間の形をした異形の生物のようです。不気味であり、どこか滑稽であり、結局とても不思議なのです。また女性の踊り手、アユ・スリ・スクワマティ(以下アユさん)さんもまた負けていない!!今回、最も心に刻まれた踊り手です。両目の動き、そして身体全体のタイトな動きがもの凄い。余談になりますが、彼女はアノムさんの奥様で、この二人「ジョン・レノン・ヨーコ小野」に匹敵する夫婦であろうと納得してしまいました。このアユさんのリズムの取り方は、他の踊り手達は少し違う気がします。私は踊りのことは全くもって素人なので専門的なところは分かりませんが、彼女の踊りはとても強いリズムを感じさせます。タイトで正確なリズムを身体で押出すところに特長があり、何とも言えない魅力を感じてしまいます。ガムラン以外のジャズやロックなどにも造詣が深いのかも知れない。
スマラ・ラティはトラッドなガムランからアメリカ人作曲家エヴァン・ジボリの作品まで幅広く演奏しますが、この現代的ガムランと言える音楽は何しろ想像を絶するもので、8ビート、16ビートのようなジャズ・フュージョンて使用されるリズムセンスまで取り入れてしまう。ポイントはそれが決して付焼き刃な感じに聴こえないことです。使用する楽器の特殊性、アレンジ、音楽を追い求め純粋な気持を物語るところです。それにしても、ガムランサウンドの特長は打楽器で打ち鳴らされるカンカンとした金属質な高速ビートですが、実は低域で鳴らされる音価の比較的長いパートで、その音は柔らかく耳に届くと私は何かいつも大晦日とか、煩悩とか、盆暮れの世界に誘われてしまいます。本作も勿論、同様に何とも形容のし難い別世界に誘われてしまいます。
サウンド的には統一されたところがあるので、身体が疲れている時などは小さな音量でラジオでも聴くように空間に放出しておくという手もありです。

www.youtube.com上記はタルナジャヤというアユさんの十八番です。
素晴らしさは伝わりますが、やはり生には到底叶わない。
来日することもあるようですので、次回日本公演、時間があったら是非またビックリさせていただきたいです。ひとつだけ注意点、本作を寝る直前に聴くと(私の場合)頭の中でガムランが鳴り響いてしばらく眠ることが出来ませんでした。深夜の試聴は小さめの音が吉かもしれませんね(笑)
ノムさん宅では、踊りを習うためにホームスティ可能となっております(8室)。キレイなお部屋が用意されていて、好感が持てます。ガムランを学ぶ方には良いかも知れません。また、ここにはガムランで使用する衣装、器具等が保管されており、本番ではトラックで運び出すそうです。

ここで筆者よりご挨拶 FLAT122「THE WAVES」

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さて、、人の作品をあれこれと評するのも良いけれど自分も音楽家の端くれですから、たまには自作を叩き台にのせてみたいと思います。
THE WAVESは、ベースレスギタートリオ「FLAT122」の一作目となります。
2005年に仏先行にてリリースされ、その後国内ディスクユニオンHMV通販などでも発売されました。レーベルはPOSEIDONです。今、どうなったのでしょうかね?
さて、このアルバムは2004年にFLAT122の屋台骨であるドラムが田辺君に決まり、その勢いのまま制作されました。制作のタイミングは若干早過ぎた感じがありますが、バンドを短期間で向上させる絶好の手段としてレコーディングが大きな要素であることは確かです。
レコーディングは、中野の某スタジオで6時間を2回行っておりますが、時間を要したのは何と言ってもその後のミックスとなります。
使用した媒体がプロツールスに代表されるDAWではなく、ハードとしてのA-DATでしたので、僕は同じ機器を中古楽器店で購入し(最初に買ったマシンはローラがテープを巻き込んでしまい破損!結局16トラックを同期させるために、改良モデルを2台買う羽目になる。)自宅にミックスの現場を構築して半年ほどの作業となりました。
ミックスにあたり収録を確認すると、このバンドの未完成なところ、技術的に未熟なところが散見され、それを補完するために削除、修正、新しいトラックの挿入と、躊躇なく大屶をドーンと振り落としたわけですが、それをギター・平田君、ドラム・田辺君に断りもなく進めて行ったので後々顰蹙をかい、それは今でも申し訳ないことだったと反省しております。ただ、この迷わず叩き切っていった修正具合というのが、この音楽に開き直ったような妙な力を与えたところがあり、全体の出来具合としては決して悪くないものだったと少しだけ自負しております。それは、国内・世界各国からいただいた好評価にもよく現れておりました。

器材関係は以下の通りとなります。大きく3ブロックに分かれております。
01.楽器達をまとめる「ミキサー」
ミキサーには以下の楽器達が接続されております。
ピアノ:YAMAHA/P-80(10年以上とにかく使い切りました。今も愛着が強いです。)
シンセサイザーKORG/MS2000、Roland/U220
サンプラーYAMAHA/SU200

02.スタジオ収録データの入っている「A-DAT」
録音機として、A-DATを2台。この2台は16TRで扱うため(A-DATは8TRモデルです。)同期させておりましたが、数日使用の結果、オプションのリモコンを導入しこれが劇的に作業効率を上げました。

03.一旦ミックスをまとめるための「VS1650」
これは平田君が貸してくれました。これがないとおそらく作業は頓挫していたと思われます。本作業最大の功労者?と言えますでしょう。何しろA-DATが安定しないので、まとめられた2TRデータは一度ここに保存されました。またこのモデルはミキサーとテレコがドッキングしたものでしたので、こちらでミキシングするケースも多かったように思います。

上記3ブロックをゴチャゴチャと結線しているので、そのカオス状態はもの凄く写真に撮っておくべきでした。操作をする際、いちいち立ったり、歩いたりがないよう、手を延ばせば全てが届くように考えました。少しでも時間を稼ぎたいから、、という気持ちからですが、その真ん中に自分が座っていることからトイレや食事などで抜け出すためには器材を避けないと厳しい(笑)ところがありました。意外なほど前向きで"ハイな気持ち"で作業した記憶があり僕のここまでの音楽人生の中では突出した良き思い出となっております。

THE WAVESの中心となるのは冒頭の「波濤」であり、これはミックスで見舞われたテープがお釈迦になってしまうという大トラブルを超えて完成させたものです。駄目になったところを切って(!)、生き残ったところを挿入トラックによって何とかつなげたという(笑)とんでもない作品となります。よってFLAT122が現在このように演奏するのは大変難しいということになります。音楽マニア達はまずこの「波濤」によってこちらの世界に入り込み、そして奇天烈で明快な「Neo Classic Dance」によって暗から明へと一気に運ばれるように考えております。Neo Classic Danceは彼の難波さんに「譜面を見せて!」と言われた複雑極まりない難曲でこれは26歳作曲のテーマパートを数年かけてコテコテな珍曲に仕立て上げた内容となります。このテーマはハチャトリアン剣の舞のパロディであり、何ともふざけた作品なのですがこういう軽く明るい発想は今こそ必要という気がします。田辺君のドラムが聴き所であり、12拍子の展開部で演奏されるドラムソロはとても音楽的かつ楽しく才能が溢れた素晴らしいものです。今もって自分の作品には田辺君、と思うのはこの辺りから来ていると思われます。作品は僕と平田君のどちらかが書いておりますが、このFLAT122の最もな特長は、その二人の作曲家が常に火花を散らしている、、と言うことです。互いの作品に対するハッキリとした意見、提案、そして実験の繰り返しは、再生と破壊を繰り返して殆どがゴミ箱行きという勿体ない結果を招いており、残った僅かな燃えカスみたいなところで勝負していたようなところがあります。とにかく音楽原理主義といったところで、集客も宣伝もそっちのけ、、中高生バンドのようなものだったのでしょう。この孤独な戦いとも言える「FLAT122・音楽への向い方」は僕の理想なのかな?と思います。今も、復活を望む方がおりますのは嬉しいのですが、平田君はご自分のバンドで忙しくオリジナルメンバーによる再生は難しいように感じております。今後の流れとしては僕と田辺君がFLAT122の音楽を前に進めていく、ということなのでしょう。今年10月13日に行われるシルバーエレファントライブでFLAT122音楽の現在を形にしてみたいと思います。バンドの構成は大きく異なりますが、その根底に本アルバムが横たわっていることを心に刻んでおきたいと思います。

烏頭・針が振り切れている!

スピード感溢れる音。音楽マニア達のイチオシか?

烏頭(うず)はライブに来ていたお客様から教えられたバンドで「聴いてみるもよし!対バンまたよし!」ということでした。
それから半年後の夏、四ッ谷のライブハウスでご一緒させていただき音楽を聴くこととなりました。
その衝撃は、今も鮮明ですが、同時に本サイトでも紹介しております「る*しろう」との近似性もまた感じたものでした。
バンドの編成がピアノ、ギター、ドラムというベースレスで同じ構成であるところが大きいのですが、音楽の造作に似たところがあるのです。
その有機質なところは、自分の音楽がどちらかという定規で引っ張ったように幾何学的な音楽を行うのとは対象的で、何と言うか割り切れていないところをひとつのカタマリに捩じ込むようなリズムに特長があります。それは独特な「音の畝裏」となって表出しているようでした。これは「る*しろう」にも存在する特長ですが、自分には無いものであり、真似をしようにも出来ないセンスです。
しかし、似て非なるところも散見されるところが面白いところです。
この2つのユニットを土俵にのせてみると、違う部位がキレイにあぶり出しとなるのが不思議に絵柄として見えるようです。
烏頭はどこかに民族音楽的なイメージが見え隠れし、それが重く湿った感じを受けるのですが、る*しろうは音がもっと乾いています。また烏頭は他音楽の影響が見えない、もしくは咀嚼し吸収したフィルターの性能を感じる。平たく言えば独自性がとても強いと。その辺りでファンを分けるところがあるかも知れない。
僕は、ライブでこっそり録ったipodで半年ほど烏頭を聴いておりましたが、今思えば、よくぞ半年もあのオーバーロードした割れまくった音に耐えて聴き続けたものです。そういうところで言えば、本作は何と音がキレイなのでしょう(笑)つまりライブでの音と本アルバムの音にはかなりの乖離があり(勿論、個人的なところで)、そこがむしろ興味深い。ライブを行う必然性、それでいてアルバムの存在、その区分けがこれだけ成されているのは、おそらく僕のipodが理由なのですが、それでもそこにこのバンドの七変化的な才能が隠れているような気がします。
「とにかく針が振り切れている感じ!」
僕の烏頭に対する素直なイメージです。

最近ミニアルバムがリリースされ、ずっと洗練されたジャケ(このデザインはとても秀逸です。)で登場しておりますが、僕は本作の作品でしばらくは楽しめそうです。対バンを3回ほど経験しておりますので、耳に馴染んでいる作品も数曲あります。ヴォイス参加の作品など、凄いキャラの曲だな!と改めて感心します。旋律がとても魅力的なラインを描いており、もしかすると中東、トルコ伝統音楽からの影響?と思ったりするけれど、うーん、、、よくわからない。
音を掴み取りに行くスピード、強さは尋常ではなく、どういうイメージが在ってこういう事態になっているのか知りたいという気持ちです。

ひとつにピアノの大和田さんのフォームに秘密がありそうですが、あれだけデカイ音を出すピアノというのも聴いた記憶がない。否、、単にデカイ音のピアノというのでもなく、音の中にピアノ線が入り込んでいるようなサウンドと言えばイイのか?
昨今、国際的に活躍する女性アスリートに男達は腰が引けているが、音楽界でも同じ事象が生じているのである。
ジャンルとしてはプログレに入れられてしまう危険性?がありそうですが、あまりバイアスをかけないで、素直に聴くべきだろうな、、と思います。
ある程度の柔らかな脳の持ち主であれば、この新しい音に乗って旅するのは、さほど難しくはないでしょう。決して難解であるとか、敷居が高く面倒、という音楽ではないです。普通に聴いて自分なりにイメージを膨らませて楽しめばOKと。猛毒なので、中毒になると抜け出せなくなりますが、別段健康を害するわけでもなし!是非、その鋭利な棘と格闘していただきたいと思います。
*本作の音データを佐山氏(烏頭・Dr)から受取りこの駄文の参考とさせていただきました。多謝!御礼を申し上げます。

対バンはよく考えてから?「る*しろう/8.8」

まずもって同じ土俵には上がりたくない!

幾度が対バンをさせていただいたことがありますが、まあこのバンドを一蹴出来るバンドなんて居るのだろうか?
客としてライブを聴かせていただいたのはもう随分昔になる。このアルバムがリリースされる前ということだから。
確か高円寺のペンギンハウスというライブハウスです。先頃、マスターが引退されましたね。
このバンドの屋台骨は何と言ってもピアノの金沢さんの音楽世界に尽きるわけですが、ライブとなりますと菅沼さんのドラムの凄さが来るわけでして、偶然にも同じ編成でありましたFLAT122(という名前すらまだ付けていなかった新人でしたが。)など、足の爪先までも行っていない、遠過ぎるレベルの差。当時まだ3歳だった息子と嫁と聴きに行きましたが、帰り道は呆然として足が地に付かない感じ(笑)。嫁に「凄かったね!あんた大丈夫?」とか言われて「うーん、、、ちょっと、、。」と言うのが精一杯でした。当時、僕は10年近くバンドから遠のいておりました。しかし、急にバンドをやらなければならない!とフラフラと立ち上がったところで、出会ったのが昔フュージョンバンドを一緒にやったことのあるHでした。この「る*しろう」は彼に教えられました。同じ編成のユニットであれば、聴いた方が良い、、ということしたが、それは当然でしょう。しかし、そのショックがあまりにひどかった。これが本当の浦島太郎状態であり、しばらくは軟弱かつ出来の悪い脳が布団を被ったような格好でおりました。が、何とかユニットのヒントを得たのは、その年秋、トッパンホールで聴いた小玉桃さんピアノのメシアンでした。作品は「幼子20の眼差し」という超名曲ですが、僕はこの作品というかメシアンが間違いなく自分のバンド(音楽)においての要素というのかイメージとして必要ではないか?と考えたのです。その辺から次第に自分なりのベースレスギタートリオの形が見えて来た気がしております。この「る*しろう」も同じくベースレストリオとなります。ベースというのは実は音楽において最も重要かつ根幹を成すパートと言っても過言ではないでしょう。エレクトリックベースでも、オケのコントラバスであっても、その種類に関係なく。そのベースの存在がないというのは、大きなリスクを背負う事と引き換えに現代的なアプローチが行いやすくなるという利点があります。ベースの代わりは自ずからギターかピアノの左が受け持つわけですが、これは個人的見解ながらギターで低域を持たせるのであれば、これは最初からベースが在った方が良い、、ということになります。ギターにベースの代役をさせるのは僕は駄目ですね。サウンド的にも考え方としても。低域は(技術的には大変ではありますが)ピアノがガツガツと弾き倒すのがベースレストリオの定義でありましょう。ということで、本作も痛快なほどのピアノのゴリゴリとしたカッコいいフレーズが炸裂しており、これだけのギター、タイコに全く負けずにがっぷり四つ!!まるで走馬灯の様に蘇る大相撲「北の湖vs輪島」の全勝対決のような様相でしょう。

僕は本作の冒頭 "ソレイユ"(奇天烈ですがお洒落で素敵な作品です。)は勿論、全ての作品が耳に馴染み深く、まるでビートルズのアルバムのように身体に入っております。それくらい、その作品性というものに共感を持つものです。クラシック古典から近現代の影響は流石に濃いのですが、しかし、それだけではない得体の知れない有機質な才知を感じます。
この名盤8.8以降「る*しろう」は有り余る才能を制御出来ないかのように様々な実験と破壊を繰り返して行きますが、僕みたいな「る*しろう原理主義者」にとっては本作が最も耳辺りがよく、楽しんで聴けます。どの作品も面白く凄い。こんな音楽がもっと知られる存在であったら、、との願いもあってコレを書いているところがあります。余談ながら金沢さんは僕の後輩にあたりますが、その力の差は歴然!!音大時、サボってボーリングばかりやっていた僕ですから、勝負になるわけがない。こういうバンド、ピアニストが居ると知っていたら、どれだけ慌てて練習したか(笑)残念ではあります。

日本人キーボーディストが肝・NERVE

ジョジョはキ●チガイだ!」(勿論褒め言葉)
 
小見出しは僕の長い相方ドラマーT君のジョジョ・メーヤーに対する言葉だ。同業者からこのように評される場面が実際多いことだろうと思う。さて本題まいります。
ジョジョ・メーヤー「知っているよ!」というのは一般の音楽ファンよりも圧倒的にドラマーが多いことと思う。
それだけ、そのテクニックが専門的であり、飛び抜けているのである。

専用シューズを履くことでヒール&トゥを足技でマシン顔負けのハイハッとワークをこなす。(ジョジョは峠を攻めても速いと思う。勿論車は"86"で、、笑)ドラムンベース、人間ディレイ、とてつもなく細かいビート回しだが、そのサウンドはタイトかつ乾いた独特なもので知っているドラマーの中では最も好きなドラマーかも知れない。
2歳からドラムを始めたということだが、しっかりとジャズの世界を通っているところが演奏にある種の重さを与えている理由か。
ジョジョの特長はその演奏内容そのものにあるけれど、それだけではない。一人のドラマーでは終わらない音楽家としての資質もまた他に例をみない特長がある。この人力ドラムマシンを知ったのはYoutubeだったけれど、これは見た(聴いた)方も少なくないと思いますが、楽器フェアーで演奏している動画です。
ジョジョ・メーヤーは、ソナーと(現在も変ってなければ)エンドースメント契約を結んでいる。その関係から、フェアーの一角で演奏を披露したというところ。ベースとのデュオだが、やっている作品は、適当な即興などではなく、間違いなくナーブの曲から、そしてナーブのセンスで演奏している。ドラムは明らかに収録されたものより暴れており、遊びが多いが、それはメーカイメージや会場の雰囲気を意識したところも感じられる。
本作は彼の音楽としては、随分耳辺りがイイように思う。時に「ひょっとしてジョン・ボーナムがお好き?」と感じることもあるくらいだから。ただ、様々な場面で繰り返し聴くことを想定すると、こういうアプローチは正解とも言える。作り手からすると大袈裟で壮大な作品というのは案外つくりやすい。しかし、耳に優しく、軽妙で、それでいて聴く側の心に世界を差し出す音楽は実力がないと難しくなる。
耳に刺さらない、しかし圧倒される。そういう音楽の方向性はある意味、理想郷とも言えるだろうか。
ナーブは確かにジョジョのバンドだが、他メンバーが大きなポイントとなる部分がある。このバンドは基本トリオで、ギターのいないキーボードトリオであるが、だからと言ってELPを想像されてはちと困る(笑)このシンセのアプローチは先端を行っている。ベーシストが追込みした音もかなり飛んだもので、ジョジョと織り成すリズムをより特異性の強い内容としている。サウンドはアナログモデリングタイプのシンセの音だが、ノイズののった音色であっても隠し味的な使い方ではなくガッツリと前に出して来る。かすったように聴くと、リズム中心でドラムのバックをシンセ+ベースがやっているような印象を受ける。しかし数回聴くとこの音楽には骨太なテーマ性があることが分かる。こんな時、音楽は第一印象というのも大切だが「繰り返し聴いてこそ!」と思う。
作品において「繰り返すこと、反復すること」は演奏する側・聴く側も共通して大切な音楽要素になるということでしょうか。
本アルバムに反応する音楽マニアの殆どがジョジョ・メーヤーの名前がそのキッカケとなりますが、実はこの音楽を受止めるか否か?その鍵を握っているのは、日本人キーボーディスト・中村卓也のセンスとなります。作品は粒ぞろいでどれを聴いても納得させられますが、個人的には「Dr Jones」「Ghosts Of Tomorrow」「Hafiz」辺りに気持ちが行きます。

僕はこの中村さんの音使い、ハーモニー、描くラインはとても映画的であり素直に「良いではないですか!」と◎(二重丸)です。演奏されるフレーズ、音色、変化は陰影に富んでいて電気的サウンドの固定観念を霧散させるような力強さが感じられる。アナログシンセの"ビリビリとしたレゾナンス"が強過ぎるところが少し引っかかるが、これも若い世代にはアピールする要素かも。このアルバムを聴くと音楽アプローチを考えさせられる。そういうところは、とても不思議なのだけれど本サイトで何度か紹介しているPhewの音楽と似たところがある。
このバンドの今後が興味深い。しばらくはこのスタイルで対応するだろう。しかし、サウンドの灰汁が強過ぎるところが「仇」となり"変化"もまた必要になるかも知れない。本作を末永く聴いてもらうためにも、新しい方向を示す次回作を待ちたい。ナーブにはそれが出来るし、是非ここに停滞せず新味をプラスして欲しいと思います。

Phew/1st・サウンドの奉仕力が凄い傑作。

これが1stとは!!勉強不足を恥じる宣伝部長。

おーい、ライブが2回あるのだろうが。準備しなさいよ、、と心の声がする。しかし、これを書かねばその先がない感じ。
本作、改めて申し上げますとPhew(名義では)1stアルバムとなります。その前にアーント・サリー、あの一部では有名なジャケのアルバムもありますが、まあこれは後追いで書くことがあるでしょうかね。
それにしてもこの音世界は改めて聴くと昔聴いた印象より更に濃度を増して、それでいて聴きやすい。まあ、こちらだって指をくわえて数十年生きて来たわけではないのであり(と言いつつ、指を銜えていただけのような気もするが)音楽の若干の底上げにより、聴力もようやく人並みになって来たのである。ここ数年のPhewの特にライブでのパフォーマンスはどこか切なく、背中に電流がビィーッッッッと伝う感じがあるのですが、この若い頃は逆に醒めた感じがする。年を重ねて熱を帯びて来ているのだろうか?「枯れた味わい」とか「いぶし銀のような」という形容に真っ向から背を向けるような、凛とした佇まいだと思う。こういう人が真にカッコいいのだと僕は思う。突き放した感じのヴォーカルと言えばイイのだろうか、ジャストな位置から微妙な弧を描いて上昇する摩訶不思議な音程を発する声は、この頃より既に確立されており、黎明期のアルバムだからそこのところを割り引かないといけない、、などという国産にありがちな甘い見方は無意味ということになる。今現在の音楽と勘違いして聴いていただいてOK。
それはPhew自身によるところも勿論あるが、サウンドを形成しているカンのセンスによるところも大きい。このセンスは残念ながら日本ではあまり耳にすることの出来ない色調である。例えば、冒頭の作品「CLOSED」のベースのアプローチ。Phewの音楽において最も特長的なのはベースの存在である。所謂ごく普通のベースの在り方というのが見当たらない。長い尺でのベース不在、相当な違和感がある。おそらく、この辺で針を上げてしまう根性の無い(失礼)音楽ファンも居るかも知れない。しかし、ここは我慢しよう。すると、ベコッ、、ボコッ、、!と何だかミックカーン(ニューウェーブの旗手"ジャパン"(しかし、しっかり英国のバンドである。)の名ベーシスト)が風邪でもひいたのか、どうも調子が上がらない感じ(笑)、ヤケに間を空けたベースが地味な装いで出現する。
これが良いのである。何度も聴いてみるとイイ、癖になるから。
そして、Phewヴォイス。例の上ずった、天才的にズレた音程が重なると、もはや聴き手は音楽道の岐路に立たされていることを知る。左右に分かれる道。片方は「即座に針上げ!!Phewという得体の知れない音楽家など知らなかったことにする」そしてもう片方は向こうにトンネルが見えて、どうもそこを歩いて潜らないといけないような具合である(笑)それは「これからPhewの音にドップリと漬かりコールタールの海に浮き輪無しで飛び込む」(イメージとして)を意味する。真ん中の道というのは残念ながらない。気に入らないと思っても何だかうっかり聴いてしまう、、という場合、それはアナタ、、ほぼコールタール派の集合体に入っているのである。私が入り口にモギリ係として立っておりますから、どうぞ笑顔で入場してください。

例えば後半に出て来る普通ならどこにでもある8ビート、、Phewの他アルバムでも取り入れている単純なビートであるが、だからこそセンスの違いが浮彫りとなる。アーント・サリーの8ビートなんかもヘタウマですが(どちらかというと下手な部類か、、笑)僕は好んでおります。上手いということが「イコール魅力的」ということにはなりませんので。
いうなれば中途半端がよろしくないかも知れない。下手なら下手で堂々としていれば聴く方も意外に納得するものなのである。それを、そこそこ上手というのは気持ち悪い。いっそ練習など止めて思い切り下手になるか、地獄のような練習で雲の上に出るか、そこはハッキリした方がイイ。またまた問題発言ですね、、失礼しました!

そして、本作と「A New World」というリリースのタイミングとしては"端っこ同士の作品"が個人的に最も好む作品となります。サウンドもまた両極端と言えるでしょう。この2枚は座右の盤として我が成増山スタジオには常設、持出し厳禁というわけです。本作はアナログの良さが全面に出ております。シーケンサー(手弾かもしれない)で鳴らされるモコモコとしたシンセベースもありますが、リズムの振幅は広く、サウンドとして太く温かな印象を受けます。ところがその上に位置する音楽自体は陰鬱で冷たく、虚飾を排した赤裸々なPhewの世界が重なっている。その強いコントラストこそが本作の特長でありましょう。
人の目を通し、その絵柄が一旦心に焼き付けられる。脳内フィルターを通し、その絵柄は異形となって外界へと戻って来る。何故かそういうことを考えてしまう。
1stアルバムには理由は知らないが傑作が多い。ELPも、カルメンマキ&OZも、そしてレッドツェッペリンもなかなか渋い。Phew入門?だったら本作を薦めます。「宣伝部長特別推薦盤」(何が特別なのかは知らないが)というわけです。

上原ひろみ・Alive - ようやく聴いてみる!

このリズムセクションの訴求力。

サイモン・フィリップスアンソニー・ジャクソンリズムセクションということで本作を手にした音楽ファンも多いかと思う。
僕もその一人かも知れない。
Youtubeで視て(聴いて)アルバムを買っちゃった!」というケースは少なくないが、これもまた例外ではなく。
しかし、キッカケとなったYoutubeの作品は入っていなかったようです。そこは少し残念。上原ひろみさんは同業者です。同じピアニストであり作曲家なのだけれど、これまで何故か避けて聴かなかった。しかし、食わず嫌いは自分の悪い癖です。ということで、ようやく聴いてみました。他アーティストの影響が微妙に感じ取れるところが面白いです。これは僕個人の感じ方かも知れないですが、不思議とプログレ色の混入?ありです。ELPであるとか、ザッパのような文法も入り込んでいる。ジャズピアニストとしては異例に変拍子が多く、それは彼女自前のフィルターを通して消化吸収し独特なフレーズにより創出されている。好感度が高いですね。サイモン・フィリップスは随分若い頃から耳にしておりますが、基本線は変らない。一聴すると引き出しの多い多彩なイメージで来るけれど、全体像を眺めるとパターンはハッキリしており意外に明快で分かりやすいドラムだと思う。サウンド的にはジョジョメイヤーのような細身な(彼は身体もえらく細身だが、、笑)音を好む僕としては若干違う音だけれど、これはこれで"タイコ"らしい音で悪くないと思う。ニュートラルなイイ音だ。サイモン・フィリップスは、群雄割拠するテクニカルなドラマーの中でも知的なイメージのする人です。実際、リズムの組み立ては練られており、ドラムの作曲と言ったスタンスでしょうか。鍵盤サイドからは好まれそうなドラマーではないだろうか。何となくこうなっちゃいました!というところが少ない、学究肌なところも強み。本作の相方ベーシストは、アンソニー・ジャクソンだが、これまた楽器が違うものの似たタイプと言える。このリズムセクション上原ひろみの組合せは、面子の面白さで決定されているというよりは、彼女が今、やりたい音楽の内容から呼ばれた二人という気がする。

音楽内容もまた、呆れるほど濃くて全体を聴くと腹一杯になるのであるが、僕は天の邪鬼なのでこんなには曲数は要らない。ブルース進行、つまりは7thコードでガチャガチャとソロを弾き倒すのはアメリカのライブシーンにおいては(まあ国内も似たり寄ったりか?)受けるのであろうが、僕はそういうのは辟易としてしまう。このアルバムからそれらを削ると、よりタイトでスッキリとした形。このリズム隊である必然性がより明確となり、聴く側へ向うパワーはずっと高まるはず。テーマの旋律、ハーモニーに素敵なセンスが沢山入っており、上原ひろみの人気の一旦がこの辺にあることが分かって来る。テクニックを聴かせることが悪いのではない。音楽内容に対する感心は多様であり、原理的にこう聴くべき、、という考え方は違っているように思う。ただ、本作の冒頭からの高い音楽性に耳が行くと「徹頭徹尾、こういう現代的なアプローチで通して欲しかった」というのが僕個人の見解です。
(本作をテーマとブリッジに絞り込むと、未だ尊敬する「る*しろう」(但し、かなり以前にリリースされた1stアルバムの頃)みたいになっちゃうのは見えている。それもまたちょっと違うだろうし。音楽造りの難しいところかも知れません。)

ジャケの帯にはこの「トリオ無限大」とある。

次回作は、シンセで大きな空間を演出するとか、音数を極力削った現代的なアプローチをしていみるとか、そういった試みを期待したいと思います。
今回の僕の評は、おそらくピアニスト・作曲家という同じ立場からの、かなり偏った内容であることは確かです。
本作を聴いて「何だ、タカの言うことは充てにならんなぁ」と思っていただいて大いにOKなのです。

る*しろう:インディーズシーンにおいて絶大な人気を誇るベースレスピアノトリオ。天衣無縫な音楽性は止まるところを知らず、共演すると間違いなく突き落とされたものです。おそらくは国内よりヨーロッパ方面の評価が高いのでは?と想像されます。