ピアニスト・タカの脱線CD評

FLAT122キーボードとして活躍・ピアニスト・タカ音楽評

ジャズの可能性・メセニーGP/OFFRAMP

演奏がイメージと結合している。

このアルバムを聴いたのは、貸レコード屋さんが乱立していた頃で、まだ練馬の江古田に居た時分であるから、随分前のことになる。
当時持っていたオンキョーのアンプと中古で見つけて来たマイクロのプレーヤー、そしてこれまた近所の少々胡散臭いアウトレットに転がっていたスピーカ「YAMAHA・N10」が自分の誇る?セットでありました。このアルバムはレコードで聴きたいソースの数枚に入る。パットメセニーGPのリリースしたアルバムはベーシストの変った分岐点により分けられると思う。マークイーガンがエレクトリックベースを弾いていた前期、それをウッドのスティーブ・ロドビーとした後期と。比較してどちらが良いとか、好みであるとか、僕としては珍しくそういった判断はない。どちらにも良いところがあって、気分で選んで聴く形だ。ただ、このグループの全体を通して本作が最も好きなアルバムであることは確か。ここまでイメージの統一された作品はジャズ・フュージョンでも珍しいと思うし、その独特な暗さ、重さはどうだろう。パットメセニーのアプローチは流石だが、特筆すべきはライル・メイズによるサウンド構築、この人ならでは繊細かつ独特なリズムセンスのピアノ、使用していたシンセはオーバーハイムだったと思うが、昨今のシンセとは一線を画す太く温かく広さを感じさせる音。これ無くして本作品の成立はなかっただろう。
後年ライル・メイズは音楽雑誌でこのバンドで演奏して行くことに付いて、随分と愚痴っていたが(笑)それでも、こうして記録された音楽は紛れもなく素晴らしいものだ。鍵盤奏者がギタリストと共に長い期間共にするのは、やってみた者でなければ分からない辛さがある。それはまたギタリストからしても同じことが言えるのだろうと思う。僕も私事ながら、7年程ギタリストと共に作業したことがあるが、ギターとピアノというのは、そもそも相性が良いわけではない。サウンドがぶつかりやすく、混濁しやすいのである。よって本作のピアノとシンセサイザーの使い分け、バランスには慎重であり、試行錯誤が在ったことは想像に難くない。
しかし、本作が多くの音楽ファンに支持を得たのは、こうした裏側の作業が云々ということはあまり関係がないと思う。
作品力に尽きるのである。
つまり同業者のライル・メイズには同情を禁じ得ないが、パットメセニーが仕事をした!!ということに尽きるかな?と。

僕はジャズに対して兼ねてより誤解していたところがあり、、それは以下のような内容だった。
ジャズが作品というよりも演奏内容、そのメカニズムを楽しむという側面。「それの何処が悪いのか?」とも同時に思うのだけれど、おそらく自分の作曲家としての部分が否定的な見方をするのだろうと推察される。
しかし、この1年間、現在活動しているピアノトリオの影響から無意識にジャズに近づいて行ったわけだけれど、このジャンルは一括りは出来ない。多様性があってジャズ自体が試行錯誤している途中に在るのだと思う。
簡単に言ってしまえば、アルバム2枚を比較して「コレとコレ、、どちらもジャズなの?」ということが往々にして多いのである。でも、それはジャズの持つ大らかで自由な最良のポイントだと思う。
その多様性ということで、出現する方向性のひとつ「ECM」。
本作もまたこのレーベルからリリースされている。このジャズレーベルの作品群は、全てではないにしろ、その多くが情景描写に主眼を置いているように聴こえる。そして、本アルバムの更なる要素として、その情景に触れている人間の心理、心の移ろいが感じられる。そこが素晴らしいと思う。
単に「何かキレイな曲だな、、!」と言うのではなくて、その先に何か隠れている素敵なことが在る。深く聴いて行くと、その世界が自分の心に投影される気がして来る。レコードに針を落として、ボリュームを大き目にする。まずドコ、ドコッとまるでピンクフロイドの狂気のようなアプローチで一定のリズムから想像も出来なかった広大な世界が展開され、やがてゆっくりとフェイドアウトしていく。
そして、ボリュームを大き目にしたからこそ分かる、次の"タッタン"というダン・ゴッドリーブ(dr)のフィルイン。控え目ながら気合いの入った導入で名曲が奏でられて行く。そこから最後まで一気にこのアルバムと共に旅を続けるのである。音が終わり自分に帰った時の虚脱感、絵でも写真でも圧倒されることにおいては同じなのだな、、と感じ入ります。本アルバムはCDで所有しておりますが、レコードで聴きたくなります。しかし、またオーディオ道に足を踏み入れるのは我が家の財務省が許可が必要です。道は険しいのであります(笑)

チョン・キョンファを聴く今年後半か?

バイオリンと同化しているらしい!!!

20歳そこそこだった。友人の「T」に教えられたバイオリニストがこのお方。この「T」ってのは前にパユのことを書いたページで登場したフルーティストだが、バイオリンにも詳しかった。

自分の女神のようにこの豪腕バイオリニストを崇めておりました。彼の聴いていたのはプロコフィエフでしたが、確かにあれも凄かった。一体何が、彼女の宇宙人的(楽器に長けた宇宙人って?)なところか、と言えば「テクニック」に他ならない。何かに付けて「テクニックより大切なことは山ほどある」と宣っている自分ですが、この天才(という言い方は失礼なのかも知れない、、それにしても。)の演奏を聴くとそんな言葉は瞬時に色褪せてしまう。
本作に入っているバイオリン協奏曲4点は、クラシックファンなら「知ったかぶり」以外は皆知っている"クラシックのイロハ"みたいな作品達である。

この中の、チャイコフスキーとメンデルスゾーンは自分の原音楽と言えるものだ。遠い昔、エンゼルレコードのマークが入った赤く透き通ったレコードから聴こえてきたのはこの2曲であり、バイオリニストはオイストラフだったと思う。父が少しだけ出生して作業員長屋から職員アパートに引っ越した直後だから4歳ということか。それからというもの、小学校低学年辺りまでBGM代わり、とても身近な音楽だった。

そういうことで、年齢を重ねて行くに連れて、聴く気力を振り絞るのが難しいという悲しい事態となってしまった。比較すればベートーベンとシベリウスはまだ少し新鮮味があるだろうか。しかし、この原音楽というのは心の奥底に常に巣食っていて、自分の音楽にも時折口出しをする。子供時分に耳に入った音は何にもまして影響が大きいのである。

そういう馴れ切った筈の本作品だったのだが、Youtubeでふと目にとまって見た(聴いた)チョン・キョンファのチャイコは驚きのあまり涙がザーザーと出て来て止まらなくなり、仕方ないので途中で止めた。ブックマークして後で改めて聴くと、やはりとてつもなく感動して涙腺があっけなく決壊してしまうので困ってしまう。

その不可思議な感動は何処から来るのだろうか?
それは音を掴み取る力を感じるから。バイオリンを自分の言葉のように同化して使える、つまり人間離れした自分の想定外の世界に引き入れられたから。ライブ動画を見ると、パート毎に身体の向き、位置を激しく変えて作品のリズムを感じ取ろうとしているように見える。そういう雰囲気的なところ、ライブ特有の粗いところは、むしろ彼女の魅力を倍加させる。ジャンルに関係なくスタジオ収録を好むアーティストも少なくないが、彼女はどうだろう?本人に聴いてみたいものだ。

さてこのアルバムは2枚組で前述の通り、有名過ぎる4点が入っている。だが、クラシック「バイオリン部門」登竜門としてこれほどの打ってつけもないだろう、と思う。
指揮者・オーケストラも興味深い取り合わせであり、特にプレヴィン+ロンドン交響楽団は評価が高い。シベリウスのバイオリン協奏曲はオケとバイオリンのバランスを変革しようとした意欲作でもあるので、バイオリニストにとって「とてつもない難曲」ではあるが、それと同程度にオケとのバランス。それを司る指揮者の役割は更に大きい。そういったバイオリンとオーケストラのバランスの妙とでも言うのか、その辺に耳を傾けるとより楽しく聴けるかも知れない。この中で最も分かりやすいのはメンデルスゾーン(音大生・ファンはメンコンと言ったりする)ということで"OK"だと思う。技術的にも最も敷居が低い、、ということはバイオリニストからよく聞く話ではある。しかし、作品の難易度というのは音楽を計る要素としては何の役にも立たない。音楽は旋律とリズム、ハーモニーが心に触れることが大切であって、だからこそこのメンコンは名曲と言われるのであります。実際、旋律をあぶり出すと、他3作品と全く遜色ないどころか、美しいラインを描くことにかけては突出しております。クラシック界のメロディメーカーと言えば僕はメンデルスゾーンとチャイコフスキーだと思っているが、その面目躍如たるところがあると思う。更に深堀すべく鬼聴きするとこの4作品中、このバイオリニストが最も得意とするのはチャイコフスキー「バイオリン協奏曲/ニ長調」ではないかと感じるのですが、如何でしょうか。この作品は、他演奏家ですと「ダブルストップ」や「素早い三連符」ユニゾン等でピッチが悪く聴いていられなくなることが多いですが、流石です。猛然と弾き倒しております。ちびっ子の頃からレゴ組立のBGM(笑)として聴いて来たこの作品ですが、まるで聴いたことの無い新しい音楽の様に錯覚してしまいます。今年、夏が終わって秋冬となると僕もライブが始まります。そんな時、これを聴いて自分にを入れたいものです。今年の夏休み中はクラシック音楽に挑戦!(と言うほど大袈裟ではないけれど。)という音楽ファンは、どうぞお試しあれ。

仮面ライダー555 / 10年以上前、確かに存在した傑作

ライダーの歴史で希にみる傑作555のリプロダクト

節操なしもここまで来ると良い線行っているだろうか?
遂に小生のサイトにも仮面ライダー登場です。
「トーッッッッ!!!!」僕は年寄りですから何と言ってもあの一時CMでも大活躍していたショッカーの時代、初代の人でございます。では何故にこのリプロダクトと言われる555をここで取り上げたのか?
これは子供が幼稚園の頃一緒に見ていたという懐かしさからなのです。彼がよく歌っていた主題歌で興味を持ったのが始まりです。子供特有のあの不安定な音程でも、その旋律の良さは伝わって来たものです。このリプロダクト、要は焼き直しですか?スケールアップ、クオリティアップ版を聴いてみたくなるのは、そういうことで自然な事だったわけです。

僕はウルトラQウルトラマン世代であり、この仮面ライダーというのは甥っ子達くらいの世代にあたるので、若干の違和感がありました。
まずヒーローが人間と同じ背格好であるのが気に入らなかった。ウルトラマンは一番古小柄な初代であっても30.0mの身長があり、ついで言えば2万才の生命を持っております。そのスケール感においても、特撮の粗末で稚拙なところからも黎明期の仮面ライダーは気に入らなかった。しかし、このテーマソングをきっかけに土曜日の朝、子供と真剣に見るように(笑)なってしまったということです。555はその仮面ライダーの各部デザインで出来が良く、それは子供がお年玉で買ったベルトを間近で見ると明らかでした。ボタンを押すと「COMPLETE」って言うわけだ(!)この作り込みならウルトラマンと遜色ないか、、と安心したものです。

僕は以前から、ヒーロー物のテーマであっても本来的には「可能な限り本編に同化した方が良い」という考えではあります。正直、何が何でもアップテンポ・ハード(メタル)ロック調というところに引っかかりがないわけではないのですが、本作はアレンジ面を追い込んでおり、十分に聴けるレベルまで上げております。

また、本編に登場する555はもちろんのこと、仮面ライダーの歴史上、最高傑作ではないかと思われる「オルフェノク」というキャラ、そのイメージ、何ともやるせないストーリー展開。そういった内容とテーマは良い線、同化しているのかな?と思います。
脚本もとても良いです。ちびっ子達にはとても難しいかったはずですが、そこを気にせずに作り込んだところが立派です。その辺は初期のウルトラマンやセブンと同様でしょう。このCDはそのサウンド面において輪郭鮮明となり、楽曲の良いところを引き出しております。少しだけ惜しいのはTVで使われていたヴォイスの間の手を採用していないところです。何か使えない理由があったのか、もしくはアレンジ上使いたくなかったのかは判断出来ませんが、やはり少し間延びしております。細かいところではありますが、うちのチビはそこのところもキッチリ真似しておりましたので、残念ではあります(親バカ)更に欲を言えば、エレクトリックな全体像で統一したかったのは理解出来るとしてリプロダクトするなら、思い切ったアコースティック楽器の使用、例えば室内楽を導入するとか、金管楽器、木管楽器の小さな編成を捩じ込むことによって良い意味で大きな断層を創出し、単体の音楽としても通用する作品となったと思われます。
素材となる楽曲が決して悪くないので、そこは少し勿体なかったところですね。リプロダクトというのであれば、、ということです。でも、制作現場ではいろいろな制約もあるのだろうし、ライダーファン達の持つイメージを台無しにしたくない、というところもあるのだと思います。
ヴォーカルとしてはコメントでも評価が高いですが、僕も同じく相川七瀬が良いですね。少し下世話なこの感じ、実は嫌いではないです。
そして最後に好きなキャラクターとして、何と言っても木馬勇治(木馬役の泉政行さんは故人となられて久しいです。好きな男優さんだったので残念です。)と澤田亜希をあげておきましょう。 

フルートに俄然興味が行く / パユのモーツァルト

モーツァルト・フルート作品では頂点かも知れない!!

木管楽器の主役、フルート。4リズムと言われるベース、ドラム、ギター(そして我が鍵盤)は別として、このフルートほどご縁のあった楽器もないです。18歳で上京、一浪して音大を目指すことになった僕は埼玉県朝霞台に在る寮に居りましたが、二部屋向こうの一室にフルートをやっているTが居た。これまで様々な音楽家と出会って来たが、その中でも突出した個性の持ち主だった。彼のことを説明していると、それでこのページが終わってしまうので割愛するとして、その彼にフルートの音色のことを教えられたことがある。演奏家によって音色の明暗が別れ、随分違うものであることをランパルとグラーフで同じ曲を聴かせられて勉強させていただいた。
T、ありがとう。今でも憶えているよ。そしてバンドでもまたフルートという楽器との縁は続き、フロントにフルートが演奏しているケースというのは何故か多かったと思う。フルートはピアノで作曲する僕からすると、出来上がりをイメージしやすく管楽器というとこちらからフルートを望んでいたところがあったのかも知れない。そもそも高校時代、衝動買いしたモーツァルトの「フルート・ハープのための協奏曲」が大当たり。今でも時々、聴きたい気分になります。モーツァルトの作品というのは、こう言うとファンに叱られそうですが、どれもこれも「金太郎飴」みたいに似たようなフレーズの組合せが多く、聴いて勘違いが多い作曲家の代表であることは間違いがない。勿論、よく聴けば違っているし(笑)、更に鬼聴すればリズムの妙というのが在ってその切れ味にこのマエストロだけの特長が見られる。何と言ってもモーツァルトの好きなところは、そのスケールの駆け上がりや使い方に躍動感というのか颯爽とした格好良さがあって、あぁ、、やはりこの人、天才なんだな、、と納得するわけです。これほど単純な音使いで全く贅肉のない骨組みだけでこれだけ豊かな世界を構築する作曲家は他には居ない。

このモーツァルトは様々な楽器を使用した協奏曲を書いているが、このフルートはピアノ以外においては最も作風がハマっており聴いていて実に気持ちが良い。本作は勿論、聴き入るということがあって良いけれど、読書のお伴、ストレッチのお伴、お昼寝のお伴、お腹の赤ちゃん、ちびっ子達に聴かせるには最適と言い切ってしまいます。

そして、何と言ってもこの演奏です。フルートのパユは前々から存じておりましたし、昔アバドがワーグナー「トリスタンとイゾルデ」をベルリンフィルと公演した時も同行しておりました。あの時アバドは病気から一旦復帰したばかりでしたが、あれだけ長いオペラを振るその精神力に圧倒されたものです。
正にその組合せでこの協奏曲3点が聴けるというのは何とも"しみじみ"としてしまいます。しかし、このフルートはこれまで聴いて来たこれまでのモーツァルトのフルート曲というのを全く過去のものにしてしまいました。それほどの演奏内容であり、おそらくそれはバッキングを務めるアバド+ベルリンフィルあっての部分もありそうです。
もしフルートという楽器がお好きであれば、是非聴いていただきたいです。その音の出し方、ビブラートの機微、アーティキュレーション、どちらかというとストレートで地味な演奏なのかも知れません。「こうしてやれ」とか「私ならこうする」というエゴが感じられない。通常、であれば聴きやすいけれど面白味に欠ける、、という方向に行く筈なのですが、そんなことは全くない。どうしてなのか昔、バイオリニストのチョン・キョンファがデビューした頃を思い出しましたが、もの凄い超絶技巧によって超えちゃっている演奏と言うことなのでしょう。

聴き手に「惜しいな、ココがもう少しアレだったら、、」などと感じさせることなく豪速球でドーンと3曲を完成させます。全盛期の江川ですね、、こりゃ(笑)僕はこのアルバムを聴いてパユという奏者にとても興味を持ちました。モーツァルト以外も多数リリースされているようですので、聴いてみたいと思います。フルート曲は恥ずかしながら知見がないので、新たな感動がありそうです。

串カツではない新世界!/ オケの達人・ドボルザーク

クラシックを聴かないアーティストは底が浅い?

あまりにベタシリーズというわけだ。今回はそのベタの中でも特別にベタな新世界を取り上げる。
指揮者・オーケストラはクラシックファンであれば、滅茶苦茶に拘るが、僕はとりあえず今回、若干外しつつもある程度無難なところを選択してみました。

コレなら誰が聴いてもOK。

ジャケも良い感じですね。僕は好きなタイプです。
演奏しておりますのは「カラヤン+BPO」と。BPOってのはカラヤンの手勢であるベルリンフィルのことです。因に旧東ドイツ発のベルリン交響楽団というのは別物です。アレはアレでショスタコーヴィチ等を演奏させると、それはもう素晴らしいのですが。本アルバムは、クラシック初めて!という小学生でも、クラシック歴60年という爺さんでも大丈夫。そういうセレクトではある、、、とおそらくは。あれ、、?元気がなくなって来た(笑)
クラシックファンは頑迷な音楽ファンがちょっとだけ混じっておりますので。
ドボルザークの交響曲では最後となる作品であり、人気は8番と二分する。クラシックファンは"ドボ八"と言ってヨイショするのである。
実際、8番は美しいラインを描くことにおいては9番と遜色ない。
しかし、ドボルザークの代表曲は交響曲第9番「新世界」ホ短調、で間違いないだろう。中学生時分、クラシックの中で最も聴いたのがコレだ。
冬は炬燵から顔だけを出し、眠ってしまうとまた第一楽章から針を落として、二楽章の家路で夢路へと旅立つのである。

僕は、長年バンドに関わって来たが、クラシックを聴かない音楽家は底が浅いと思っている。勿論、反論していただきたい気持ちだし(変な話)そうでないことを祈りたい。少々不思議な感覚なのですけれど。しかし今のところ、そういう見解です。
別に練習、研究など大袈裟なことは必要ない。聴くだけで良いのである。
そして、えらく気に入るパート、どうしても心の動かされるパートに拘るだけで、それは何時しか自分のどこかに刻まれ、演奏のセンスとして創出される。あの聴くだけでペラペラになる英会話とは違いまずぞっ!!
ヨーロッパのクラシック以外のジャンル、ジャズであるとかジャズロックの演奏家の描く旋律は全てではないが、これはもうクラシック聴いて来たな、、というのが分かる場合が多い。例えばECMのトーマス・モーガン(wb)なんかはその分かりやすい例だ。パッと聴きで、ブルースからジャズからという王道とは明らかに違うセンスを垣間みることが出来る。

さて本題「新世界」、そのハーモニーと旋律の繊細な関係、綿密に練られた音の重なりはクラシック音楽の中でもひとつの完成形、金字塔と言って良いだろう。また、この交響曲は規模が大きく所要時間は長いが、クラシック音楽を初めて(腰を入れて)聴くという場合にも、良い選択だと思う。
総じて分かりやすいし、聴けばすぐに誰でも「あぁ、、コレ知っている!」と膝を打つであろう「二楽章」の存在もある。
ドボルザークは確かに親しみやすく、ロシア系のショスタコーヴィチやプロコフィエフ辺りと比較すると捻りは少ないのは事実だ。が、その作品力は決して侮れない。
それは優秀な編曲技術が下地にあるからだ。新世界ではそれが分かりやすい形で結実している。
一楽章の重々しい歩みからの新世界への誘い、二楽章の他には例をみない温度・湿度感、三楽章の民族的な色合いを巧みな管楽器アレンジで聴かせる軽快なセンス、四楽章の意志を強さを感じさせる迷いを払拭したような突き抜けたアンサンブルとダサい!ということをもはや超えてしまった旋律(笑)
この作品を聴くと、自己の投影に些かの迷いがあってはならない、ということを教えられる。「こういう僕って少し恥ずかしいな、、、」新世界にはそういう虚弱体質なところが見当たらない。言うなれば樹齢数百年の銘木の様なものだろうか。
とにかく交響曲という形体を十二分に使って、新世界(つまりはドボルザークが見た当時の紛れもないアメリカ大陸というもの)を表現し尽くしているのである。
もしこの演奏で新世界を気に入ったのなら先々、様々な演奏家で聴かれると楽しいです。クラシックは作曲家にもよりますが、演奏家によって驚く程音楽が変ります。それは指揮者の解釈やテンポ感というところが大きいと思いますが、オーケストラの持つサウンドもまたお国柄が出て違って来ます。この指揮者+オーケストラというところでクラシックファンは右往左往しているわけです。また、それが楽しいわけですよ。本作もその土俵に上がることの多い作品です。本来ならチェコ出身の作曲家ですので、ハマり具合としては「ノイマン+チェコフィル」ってところなのかも知れませんが、若干外した選択を行いました。クラシック入門にピッタリな作品は他にも沢山ございます。これから折に触れて紹介して行きたいと思います。

コード進行をこれで覚える / カルメンマキ&OZ・1st

国産では荒井由美と並んで未だ現在進行形

このアルバムを聴いた回数を数えておけば良かった。というくらいに聴いた作品となります。ジャケットがどこやらジェネシスしてますが、内容もまたそれに違わずプログレしております。カルメンマキ&OZってのは結局、不世出のヴォーカル「カルメンマキ」と、ギタリスト「春日博文」在ってのバンドなのです。が、そこはそれバンドでありますから他メンバーによって、また首脳陣?のお考えによっても音楽性を大きく変えております。セカンドアルバムにおいてはハードロック寄りなコンセプトとなり、この辺は音楽ファンでも評価が分かれるところではないかと推察しております。個人的には「本作」それから「本作以外」と随分乱暴ですが分けちゃっております。

若干問題発言ですが、僕はこの一作目で十分かな、、と思っております。初めて聴いたのは高校2年生です。我が息子より若い自分が正にこのアルバムと共に在る(笑)。
1曲目の「六月の詩」でガツンと来た記憶があります。日本語のロックでも十分に聴けるどころか、海外のピンクフロイドやイエスの後にコレを聴いても何ら遜色がないと感じます。では、なぜ遜色なし!と感じるのか?を整理してみましょう。整理は苦手ではありますが。

1. カルメンマキの表現力を持って日本語=ダサいロックという概念を超えている。

2. 本作のキーボードに心から敬愛しております深町純先生が名を連ねております。これは実に大き過ぎる要素です。深町純と言えばロックというよりはプログレ、ジャズフュージョン系のアーティストです。実際、その芸幅の広さには呆れます。実に渋い演奏を繰り広げており、それは単純なピアノ四つ打ちでも(つまりはレット・イット‥ビーのような、、笑)味を醸し出しており、このアルバムが「ちょっとアートロックしました、、」みたいなレベルを遥かに超える推進力となっているわけです。その格調高き鍵盤の世界を是非ご堪能ください。中高生キーボーディストの皆さんも聴いてみてください。理想的なキーボード教材、そして音楽教材であることは確かです。

3.リズム隊のアプローチに多様性があり、カラフルで緻密にアレンジされている。鳴瀬善博と言えばチョッパーですが、ここではその前の彼の演奏を聴くことが出来ます。当時、ティム・ボガード等がお好きだったのですかね、、そういう方向です。

4.作品力が半端ではない。作曲家・春日博文、ここで出し切っちゃったか!!みたいな感じがあります。スティーヴンキング・シャイニングを思い浮かべると。あの風貌からは想像出来ない(失礼!)美しい世界を見ている人ではないかと、それも恥ずかしい程に。でないとああいう曲はなかなか書けないと。

以上、整理してみました。しかしこうして整理してみても音楽に対する言葉など知れており、最初から限界点が低いわけです。
曲としては「私は風」が有名かつ本作の中心に置かれるのでしょうけれど、脇を固めております「朝の風景」「イメージソング」はもはや日本ロック史上屈指の名曲と言って良い作品であり、初期のユーミンでさえ霞む素敵な柔らかさを内包しております。中高生、いや、小学生でも大丈夫かも知れない(僕などより精神年齢高そうですからね)。昨今の子供は洋楽をあまり聴かないそうです。であれば、コレを聴いて欲しい。この音楽の裏側に潜む何とも熱く重く、陰影の深い時代性というもの。素直に聴けば誰にとっても座右の名盤となるに違いありません。(素直に聴く、というところが実は難しいのではありますが。)
根暗ではあるが決して後ろ向きではない。そして音楽というものが曰く言葉に出来ないイメージを表現すべき「ある種のツール」であることに気が付くに違いない。僕は、最近でこそ単一テーマ、シンプルな構造を標榜しておりますが、それまではこの"マキOZ"の影響から逃れられず大変なテーマ過多に陥っておりました。そもそもプログレというのはテーマ過多であり、手法が大袈裟で組曲のようなデカイ構築を好むわけです。本作の成立ちもまたそうです。そういうことで言えば少し古いのかも知れません。しかし、音楽の流行はメビウスの輪の様に循環します。あっさりとした音楽、小さな音楽、涼し気なビートの後には、もしかすると温度の高い音が到来するかも知れません。暑い日だからこそ「焼き肉」を食べるのです。と脱線しつつあるところで、筆を置きましょう。

〈マメ知識〉
タイトルとしましたが、このアルバムの別な側面として、初心者キーボーディストにとってコード進行の勉強になります。例えば朝の風景という曲があります。Key=Cで考えますと〈 C→D→F→C 〉と行くわけです。さぁ、、このDとFの意味を考えてみましょうか。下手なコードブックを眺めるより身体にしっかり入って来ます。

ディシプリン、これが "宮殿" と同じバンドなの?

つまりは違うバンドになったと。変化幅数キロにおよぶか?

やれやれ御大と言われるわけです。本作がリリースされた時点では、拒否反応を示した音楽ファンも多かったと聞きます。そのリセット具合、その断層の深さが半端ではない。メンバーのキャラによるところも大きいでしょう。旧クリムゾンと共通するのはロバートフィリップビル・ブラッフォーッドの二人というところだけかも知れない。このアルバムはクリムゾン歴史の折返し、分岐点、こういう場所に置かれるモノであろうと思う。使用前/使用後という言い方でも良いかも知れない。
一体、どういう体操をしたのか、、もしくはどれだけ変なサプリメントを注入したのであろうか。

大リーグ養成ギブス(巨人の星参照)的な飛び道具を使ったというのなら、それはエイドリアン・ブリューの"像の鳴き声"がそれに相当するに違いない、、、?
メンバー加入によるところも勿論大きい。
上記のエイドリアン・ブリューに注目が集まるが、どうしてベースのトニー・レヴィンもまたこのサウンドに対する貢献度は高い。
トニー・レヴィンはジャズ・フュージョンの人という印象があったので、最初は少し意外な感じもしないではなかったが、いやはやどうして、、そのサウンド、描くラインは流石にロックだけしか弾けまへん!!というのとは一線を画している。
彼を加入させたロバート・フィリップの、あまりに大きなファインプレイだったと言えるでしょう。
ギタリストもベーシストもモードを使えるかどうかで、大きな差異が出ると僕は思う。
例えば、ベーシストは「ペンタトニック」でチョッパーという、言うなれば「客は喜んでいるフリをしている安っぽいサーカス」といった音楽を封印することから進化が始まるのだ。
クリムゾンが他のプログレユニットと大きく異なるのは、時折描かれるラインの形ということになる。これにマイルスのモードが深く関係している。
このバンドはデビューアルバム「宮殿」の頃からジャズの方向を眺めているところが散見され、そういうことで言えば実は音の使い様に於いては一貫しているとも言えるのかも知れない。
ただ、本作が大きく異なるところは、そのリズムセンスであり、
ポリリズムを音楽の中心に置いたということになると思う。
このポリリズムとギターの楽器としての機能は、こちら鍵盤陣からすると、憎たらしい程にハマっており、その織り成す幾何学模様はペルシャ絨毯のようである。
また、それをバックに歌うエイドリアン・ブリューのヴォーカルは、対象的に熱を感じさせるものであり、感情の機微を捉えたダイナミックなものに感じられる。
僕は、この時期のこのユニットを渋谷公会堂で聴いたことがあるが、何が信じられないかと言えば、この複雑極まりないポリリズムを演奏しながら全く次元の異なるリズム感で歌う彼の化け物具合ということだった。
「おかしいのじゃないか?この人」そのくらいのショックを受けたと。。
同行した嫁は客が皆だったというところにショックを受けておりましたが(笑)
あくまでも「個人的な好み」ということになりますが、より肥大化した現ユニットよりもこの4人で演奏した数年間がクリムゾンの最も好きな時期とハッキリ言える。
良き作品、良き楽曲ということになれば「宮殿」や「アイランド」等も捨て難いが、結局、演奏内容、サウンド、ヴォーカルに対する自分の好みからすると、クリムゾンのベストアルバムは本作かな?と朧げながらではありますが結論付けるのでした。
クリムゾンが初めてであれば「宮殿」と本作にトライするのが良いのではないでしょうか。そしてどちらも同じバンドであることに笑ってしまうことでしょう。
ロバート・フィリップ「我が音楽人生!」ということになりますか(笑)