ピアニスト・タカの脱線CD評

FLAT122キーボードとして活躍・ピアニスト・タカ音楽評

宣伝部長というからには、Voice hardcore/Phew

あちゃー!!これはなんというか、、絶句、、、笑

凄いというのなら、コレほど凄いアルバムもないだろうと思いますね。彼女のリリースしたアルバムは音楽内容からイメージすると意外に多いような気がします。他のアーティストとのコラボなども入れると結構な数。こういう特異な(良い意味です!)音楽の割には順調に多作と言えるのかな?と個人的にはそういう受け止め方です。
冒頭の「くもった日」を初めて耳にした時、少々体調が悪く、そこにコレを聴いたものですから、恐竜の胡桃大の脳がかき回されてしまいました。しかし、自称・宣伝部長を名乗るわけですから根性を入れて聴き続けるわけです。「音楽」と「根性」というのはどうも芳しくない相性のような気もするのですが。とは言えです、音楽は繰り返し聴くことによって、隠れていた魅力が表出するわけです。聴き手といっても少しは我慢というのか、少し違った言葉で柔軟性ですかね、、こういうものが必要かも知れない。そういうことで、この「くもった日」を数回聴いてみましたが、どうにも不思議なハーモニーです。何かグレゴリア聖歌のようなところもあるし、暗く陰鬱ですが、メジャーコードが聴こえてくるような妙なところがあります。声を重ねているのが短二度、否!長七度の方が正しいか。つまりはメジャー7thに聴こえるのかしら?などと、音楽内容とは全く離れた理論的な聴き方をしてしまう自分がおります。また最初の不気味に立ち上がるところで、実家の釜石市鵜住居地区(先だってラグビーW杯の試合が、ここでも行われました。)の山火事をふと思い出しました。当時、喫煙がそれほどうるさくなかった理由もあるのか、春先になると度々山火事があったのですね。そんな時、実家の前を次々に大小の消防車が通るわけです。古いタイプですとサイレンが何と手回しなのですね(笑)消防士さんがグルグルとサイレンに付いているレバーを回しながら、鳴らすのですが、疲れてくるのか、どうにも調子が上がっていかない。まるで「南州太郎の漫談」みたいなアレと言えば伝わりますでしょうか?(Youtubeで確認してください。ハマると腹が割れそうになるくらいに笑えます。)それがスティーブン・キングの世界にも通じるようなある種独特な世界を醸し出しておりました。あれ?何処でスティーブン・キングと南州太郎が結び付いたんだ?

とにかく、少なくともそのサイレンのサウンドに自分は魅力を感じていたのかも知れない。不気味だが、何というか生あったかい仄暗さというのか。そのサイレンの音が、この1曲目とオーバーラップするのです。やれやれ、一発目から大変な気持ちになるのです。しかし、2曲目でホッと安心することは出来ないわけで、そりゃユーミンとは違うわけだから。「顔だけ知っている人」、何だろ?このタイトル。普通であるような、普通過ぎて極めて異常であるような。聴くとこれまたインパクトの針が振り切れてどっかに飛んで行ったような曲でありまして、言葉とヴォーカルサウンドの織りなす暗さは、あの一時流行りました鈴木光司「リング」にも通じるようなところがあり、何だか蟻地獄の如く奈落の底に自分が落ちていくような錯覚を覚えるようです。もちろんその着底したゴールには、Phewが演奏し、歌っているステージが待っているのでしょう。このアルバムが比較的落ち着きを見せるのは3曲目「いい天気でした」辺りからです。ここから比較的音楽内容にテクニカルな方向を織り交ぜつつ、例によって意志強固に独自路線という名のレールを駆け抜ける。何かの記事で、体調を崩したことをきっかけにヴォイス作品の試みに至ったことを目にしておりましたが、体調を崩したということから、もっと柔らかなある意味「Phewによるヒーリングミュージック」みたいなものを予測していた軟弱な自分がおりました。しかし、それは甘かった。そのお身体は心配ですし、ご自愛のほど、、と願うのですが、この音楽はこれまでのどの作品よりも毒性が強く、聴き手を選ぶところもありそうです。しかし、Phew党であれば迷わず聴いて"蟻地獄"へと向かうべきです。小さな音で敢えて部屋の片隅にスピーカを置いて音を出すと、それなりに面白い環境音楽になる気もしますが、これは失言かも。いやいや失言じゃないか。音楽をどのように作ろうがそれは音楽家の自由であるのと同じくして、どのように聴こうとそれは聴き手の自由。こうした概念というものを軽く超えた個の音楽がこんな国に在ることが信じられない。聴く人もまた自由に楽しめば良いのです。それにしても、Phewはこれから何処に向かうのでしょう。健康にご留意して音楽の海を楽しく泳いでいただきたいと心より願います。(2019.12.1 早くも加筆修正)

PHRONESIS・Waiking Dark まだ続いている!

本作は4枚目となる。既に8枚のリリースとは驚きです!

4枚くらいのアルバムリリースと勝手にイメージしておりましたが、本作が4作目であり、このバンドとしては丁度折り返し地点に位置するのか!と少々意外に感じております。最新作を先に聴いて、逆に中間点に戻って聴いたのは変則的とも言えますが、まあビートルズなんかもそうだった。Let It Beが僕にとって初めてのビートルズだったから。ということで、普通に考えればこちらが洗練度や、演奏内容から物足りなかったり、差異を感じるのは否めないだろう、との推測でありましたが、これもまた良い意味で裏切られました。これはアプローチが大分異なっており、平たく言ってしまえば本作の方がよりジャズ・フュージョン方向かと思います。フュージョンと言うと誤解を受けそうな気もするわけですが、しっかりと硬派なサウンド、相変わらずの手数、音数過多な音の壁でドーンと押し倒されます。ジャズ方向というのは、最新作が作曲力というのか、作品の色合いで聴かせるところが強いのに対して、こちらは演奏そのものでストレートに勝負しているところから、そのように感じるのだと個人的に解釈しております。
構成もわかりやすくソロパートもこちらの方がより長い尺を取っているように感じられ、緊張感のあるものとなります。よって、このバンドにジャズを望むのであれば本作の方がオススメかも知れません。もしくは1stアルバムから順を追って聴くのが良いようにも思います。僕の場合、もはや手遅れではありますが(笑)
メンバーは不動で、初期の頃とドラマーが代わった以外は同じ布陣です。ドラマーのアントン・イーガーの際立ったキャラがこのバンドの演奏イメージを決定している印象を持っておりますが、この押し付けがましく?若干エグいドラムは好き嫌いがありそうなので、ここで一枚踏み絵が入るか?というところです。
最新作「We Are All」ではドラムの質感がどこか燻んだ印象があって、気になったのですが本作では悪くないです。タムからフロアタムにかけての音の出方も良いように思います。
僕がこのバンドを気に入る最たる理由はピアノにあります。このピアノの音の出し方、描くラインにとても共感を持つのです。
イーヴォ・ニーブ(ネアムという人もいる。)は最新アルバムでも紹介した通り、クラシック一・近現代音楽からジャズまで圧倒的なスキルを持っておりバンドに対する貢献度はとても高いです。根底にビル・エヴァンスが在るのは一聴して明らかですが、しっかりと咀嚼した上で取込み自分の音楽として創出しているのが分かります。全体を通すと最新作のような気になるところはなく、普通に演奏を楽しめる良作です。最新作でき気になるのは、変拍子の使い方です。これが、別に変拍子でなく普通の3拍子、4拍子でOKな部分でも無理に変拍子にしている気がします。4作目では、そうした否定的な部分は感じられず、そういうところで言えば本作の方が"好感度"は高いです。作品力としては少し前までは流石に最新作の方か?と思っておりましたが、何度も聴いていくと本作の方が曲のセンス(旋律・リズム・ハーモニー)で上回るというのが個人的な感想です。
こうして、相当な回数を聴いてまいりますと、どうしても評が細かく辛くなってしまう。このバンド、こちらを熱くさせる何かがあるのでしょう。この世に在って良かったと実感するバンドのひとつです。〈加筆修正:2019.12.27〉

 

DUST・Ben Monder「最近ギターはコレ一択!」

自分としては、相当なお気に入りらしい!!

ベン・モンダーはニューヨークのギタリスト。キャッチフレーズは「高速アルペジョ」高速をたまに「光速」と書く人もいるがイメージとしてはこちらも近いかところがある。ベン・モンダーの前はヤコブブロというECMのギタリスト一択だったが、傑作「Amorpher」に触れてからは徐々にこちらに傾倒してしまった。どちらも浮游したところがあって、キャラは共通している部分もあるが、BM(面倒なので略称)の方が、カッチリとしている。旋律のラインを気にするのであれば、ヤコブブロの方がより分かりやすいかも知れない。しかし、何度も聴いていくと音使いの深さ、考え抜かれたハーモニーではこちらに軍配が上がるか。それほどに、このギタリストの構築する音楽は緻密で、他にはない独特な世界観があるように思う。音楽はイメージ表現の一つのツールであるけれど、それを具現化しているアーティストは多くはない。
例えば、ピアニストのブラッド・メルドー
彼は時折ビートルズのカバーを取り入れる。僕が昨日聴いていたアルバムには、ビートルズの、紛れも無い傑作の一枚であろう「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandから「she's leaving home」にアプローチしている。この曲を「地味な作品」とかこの「アルバムの中では箸休め」とするコメントもあるけれど、バカ言っちゃいけない!(怒)「もっとしっかり聴いてくださいな!」という事になる。マエストロ・レナード・バーンスティンが「バッハのフーガに匹敵する美しさ」と驚いたように、ビートルズの中にあっても際立った美しさを持つ作品と思います。

聴いていくと、ハーモニーの組み立て・音の使い方に首を傾げるシーンがあります。これはオリジナルの美しさを損ねているように個人的には感じられます。演奏が拙くても、オリジナルの通りのコード進行を素朴に演奏した方がどれだけよかったか?と。演奏家は自分のテクニックのことから、あまりに専門的となり、時に傲慢なアプローチをすることがある。自戒を込めて思うのだけれど、謙虚に自分の出している音に耳を傾けることが、とても大切。BMがビートルズのカバーをやるというのは、あまり考えられない。が、もし弾くことになれば「武満徹のギター曲・Yesterday(ビートルズ)」くらいの深い追込みを行うに違いない。武満渾身のこの作品だって、鬼聴きすれば微かに?なところがあるのだ。本作は彼としては旧作になるが、現在進行形の音楽、新作と言われても全く不自然ではない。演奏はシンプルで「Amorpher」のようなシンセを取り入れて凝ったサウンドを作り上げた作風とは全く異なる。あちらの神々しい表現センスも凄いが、本作のスペースが空いて、カラカラとしたサウンドもまたとても魅力的に感じる。というかBMの本当のギタリストとしての魅力ということであれば、本作の方になるか。

演奏のポイントとしては、ドラムのアプローチ、リズムセンスとダイナミクスの角度の付け方が秀逸であり、このアルバムは「このリズムあってこそ」という気がする。ベースの存在が足りていないのが唯一弱点かも知れない。個人的な好みとして、フロネシスジャズパー・ホイビーまで行かなくてももっとバチーン、と切れ込むような鋭さ、フレーズの強さが欲しい。ギターがあれだけ面倒で緻密なことで音を埋めているのでアプローチが大変なことは分かるけれど。MBの一つの課題として(という言い方も生意気ではありますが)ベースをユニットに入れる以上、存在の強さ、もっと大きな必然性を感じさせる方向付けがあって良いと思います。とても自我の強そうなアーティストさんなので、サウンドとしてギターの近い位置にいるベースにギターで構築している世界を阻害されたくない、、と言う気持ちがあるのかも。

早速愛用のiPodに音を流し込み、夕暮れ時駅前の西友にバナナとコーヒーを買いに行ったのだけれど、それは映画の中を歩いているような気持ちの良いウォーキングとなりました。本作はまだまだ聴く回数が足りていないので、今年の試聴回数"ダントツ1位"に輝いている「フロネシス」(別ページに評があります。)を抜けるかどうか?興味深いところです。聴き所満載のアルバムなので、間違いなく加筆修正するでしょう。BMの場合は聴く度に新しい発見があり、どうしても文章を見直す必要が出て来るわけです。元々が拙文なわけで、多くの修正を施しつつ情報を追加していくわけです。言い訳がましいところですが、暖かな目で見守っていただければ助かります。(加筆修正・2019.10.19)

児玉桃「鏡の谷」トッパンホールで聴いた記憶が、、。

宇宙人ピアニスト(褒め言葉)の本領はメシアンで発揮される!

2005年秋。その前年12月の成人病検診で派手に引っかかり、尿管結石の検査と大腸内視鏡検査をほぼ同時に行って一応命が繋がって(大袈裟!)スッキリしたタイミング。そういうことも関係していたのか、児玉桃さんのコンサートのショックは特別なものでした。当時、メシアンの「幼子二十の眼差し」を生で聴けるというのは僕にとって、ちょっとしたお祭りみたいなもの。そもそも現代音楽においてはハッキリとメシアンが好き!!という自分にとって、作品から言っても、ピアニストから言っても、迷わずアプローチしなければならない、プログラムでした。実際、その演奏を聴いて半年程はボーッとしていたものです。何が凄いのか、分からないがとにかく凄いものを聴いたことは確か、みたいな感じでしょうか。当時、バンド活動を再開しており自分の作品に対するコンプレックス、どのような内容に盛り込んでいくのか?というあまりに素人な悩みを、この演奏は前向きなものに変えてくれたと思っています。バンドはベースレスギタートリオ(ドラム・ピアノ・ギター)でしたが、このバンドを全く歯の立たない同じ編成のユニットとどのように対峙させるか?という難題に、このメシアンの作品の中に回答があったように感じたわけです。しかし、その結果として生まれた僕のオリジナルはその反映がどこにも感じられない、実に稚拙な駄作でした。その後何度も何度も手を加えて、修正して、切り取って、また付け足して、この作品をライブで聴き手の耳に委ねてみるまでは持って行きました。それでも今もってその作品は完成には程遠いレベルです。メシアンはどのように作品を完成させて行くのでしょうか?幾ら何でも見切り発車して、迷惑ピアニストとして名を馳せる僕とは対極に在るに違いない。しかし本作(ようやく評に入った、、笑)の「ニワムシクイ」を聴くと、これをモーツァルトのように一筆書でさらさらと作曲したとは到底考えられない。しかしまた、蛇行して「筆が遅い」という感じのイメージでもない。僕は「鳥のカタログ」、そして作品の規模から別バージョンとして存在している本アルバム収録「ニワムシクイ」も一時、かなり突っ込んで聴いた記憶があります。でも、敢えて児玉桃さんという痩身長身で宇宙人のような(何度も言うけれど美しい!という意味です。バルタン星人や三面怪人ダダ、を想像しないように、、笑)手にかかると、そしてそれをECMという今最も聴くことの多いレーベルの録音となると、躊躇の多い僕としては珍しくマッハのスピードで手に入れてみました。このアルバムの特長は、他にラヴェル「鏡」武満徹の「雨の素描」が収録されております。ありそうで、実はなかなか見かけない?という作品構成ですが、自然な感じ。キレイに流れるECMらしいプロデュースです。このレーベルの例に漏れず透明感のある見通しの良いサウンドで、何時でも何処でも聴いて気持ちが良く、聴き疲れしないところが本作の美点です。
全体を聴くと、やはりと言うべきか、圧倒的にメシアンの演奏が際立っています。これまで近現代になると演奏家のキャラが薄まって、作品力が全体を覆ってしまう印象がどうしても否めなかった。しかし、このニワムシクイを聴くと「メシアンは児玉桃さんで」という想いが強まります。このようにハーモニーとリズムが魅力的に描き出される弾き様は耳にしたことがない。おそらくメシアンはこのピアニストの手の内にある!ということなのでしょう。作品の深い理解は演奏家にとって最も大切なところです。"しょぼい理解"では、作曲家が伝えたい魅力を引き出すことが出来ない。その点、このメシアンは究極的なものと思います。
一方ラヴェル武満徹は、メシアンまでは行っていない感じ。決して悪くはないのですが。これだけ弾けるピアニストでコレですから。クラシック音楽から近現代音楽を演奏するソリストの抱える難しいところを垣間みます。特にラヴェルとなると、例えばイリーナ・メジューエワのように、驚くべき間の取り方、新しい解釈により、聴き手を圧倒するピアニストがようやく現れました。これまで数多くの名ピアニストがおりましたが、彼女はどう見ても多くのピアニストが重ねて来た既成の演奏とは違う異質なところがあります。それは古典派、ロマン派、近現代という枠は関係ありません。ピアニストとしてのアプローチに起点があるというのか。児玉桃さんもベートーベンからリストまで弾かれることと思います。まだまだ若手ですので、これからメシアン以外の作品であっても児玉桃さんの演奏と聴いて分かるようなキャラを確立して欲しいと思います。容姿・テクニックは十分、きっと近い将来、手が届くことでしょう。

変拍子の湿布薬/PHRONESIS・WE ARE ALl

このアルバムで誰もが演奏力の重要性を再確認させられる?

ザッパからマッツ&モルガンと変拍子に狂って、その後飽和してしまった人々。もはや変拍子が4拍子に聴こえてしまい、どうにもつまらない。この変拍子欠乏症はなかなか特効薬がない。しかし、ご安心ください!ペタンと付ける気持ちのイイ湿布薬がリリース?されました。今回のCD評は珍しくピアノトリオを取り上げます。実は、この半年ほど、脳裏に燻る音楽の大半はこのバンドに埋められておりました。その前はベン・モンダーだったし、更にその前はヤコブ・ブロという、つまり二人ともギタリスト。自分の中心にあるべきピアノからは離れたところで聴き手としてのスタンスは進んでいたわけです。ピアノは聴かないではなかったけれど、泥沼のように入れ込むというものではなく、例えばピアノトリオの潮流の中心辺りに位置し未だ人気の高いESTであっても、その中の数曲に限られるものでした。流石に本業のピアノとなると自分の気難しさ、理想の幅の狭さを知るのですね。そんなところに重く硬度の高い巨石がドーンと投げつけられたのがコレです。
僕の小さな湖はそれ以来、このPHRONESISの畝裏が続いている。ピアノトリオでここまで虜になったのは自分の音楽人生においてあまり記憶が無い!と断言出来る世界が展開されています。
その特長は何しろ変拍子を中心とする凄まじいリズムの嵐、というところでしょうか。ピアノトリオというコンパクトな音楽構成を感じさせないスケールの大きさ、また変則的なリズムを採用しながらも、音楽は絶えず陰影に富み、強いイメージを聴き手に届けます。それは、豪速球で直球勝負、音数の多さは類を見ない正に音符単価の高い(某・和プログレユニット・バイオリンさんの名言を拝借すれば)演奏が繰り広げられています。一応CD評なのでチクリと一言あげるとすれば、このあまりに圧倒的な演奏がお疲れの身体にはキツイかな?という場合もありで、本アルバムにも1曲、レギュラーな4拍子か3拍子の平坦な作品を入れたら完璧だったように思う。それにより、他の作品も際立ち、またその平坦な作品も逆に存在感を増したのではないかと思うのです。そこはやはり若い彼らの勢いというところなのでしょう。ぶっきらぼうに、やりたい事だけを押し通して「はいオシマイ!!」とこの贅肉を削ぎ落とした6作品であっさりと幕を閉じるのです。この6曲は自分にとって程よい音楽容量であり、会社帰りにウォーキング兼ねて一駅前から歩き始めると住まいの成増山(山でもないのに勝手に命名)が見え始める頃には気持ちの良い身体の暖まり方と共に6曲目が鳴っていることになります。三人共にキャラの立った演奏家ですが、聴いて行くとWbのジャズパー・ホイビーがこのバンドのリーダーであり中心人物であることが何となく理解出来ます。ベースのバランスが他のピアノトリオよりずっと大きい。また、エッジが利き方が独特で、その灰汁の強さから好き嫌いは出て来そうな気もしますが、個人的には何を弾いているのか分からないWbソロが多い中にあって際立つ存在であり、迷わず支持したいと思います。ライブのMCでも意外に多弁で明るいです。こうした技術指向なユニットにありがちな、根クラなタイプではないようです。ピアノは驚くべきテクニックです。このピアノの演奏力、展開していく世界は、これまでのジャズ・フュージョンの鍵盤の殆どを過去に追いやるような恐るべき素養を感じさせます。クラシック音楽一般から現代音楽、そしてジャズを自分の前に等しく並べて、適所に異なる技術を用いて弾き切る姿は憧れすら憶えます。これは間違いなくクラシックピアニストとしても通用したレベルでしょう。また、クラシック音楽をさらい切っている印象を受けます。その下地においてジャズを新機軸の理論体形において収めて、自分のイメージ表現において扱うというのは、昨今の「嫌になるほど弾けてしまう若手鍵盤奏者」の潮流とも言えるものですが、しかし、このアイヴォ・ニームは番外、群を抜いている。ドラムも他二人と変りません。楽器が異なるだけで、その音楽へのスタンスは深いところで共鳴しているように思えます。若干ドラムのサウンドが埃っぽい、屈(くぐ)もったところがあるように聴こえるのですが、これは、ピアノやベースを描き出すために行き着いたチューニングなのでしょうか?何しろ、この演奏もまた新型のタイコであり、昨年、一昨年に聴いていたドラマーと言えば、例えばジョジョ・メイヤーとか、ヴァージル・ドナティー、そして直近でジョーイ・バロン、ブライアン・ブレイドでしたが、それは別なキャラでしょ。「コレはコレ、ソレはソレ」と言えるものの、ドラマーは作品においてアプローチし真価を発揮する楽器というところから"PHRONESISドラマー"はその存在を他と比較出来ないポイントに佇んでいるように思います。ライブにおいてはこのドラマー、アントン・イーガーの存在が圧倒的であり、皆様お気づきのように、そのバンドが如何に客を押し倒すのか?はドラマーにかかっているわけです。ライブの出来はドラマーが鍵を握っていると言い切っても良い。その点、このピアノトリオはドラマーに恵まれており、またドラマーも変則的ながらも極地的に美しい音楽にアプローチするという幸運に巡り会ったわけですね。僕も現在ピアノトリオをやっておりますが、この本作を聴くと彼らがともて身近に感じますし、それだけにとてつもない高く分厚い壁に見えます。そして自分達の立ち位置ということも考えさせられます。保証付(何の?保証期間は?、笑)き必聴!!です。

コレって映画音楽なのか?ー平沢進/パプリカ

平沢進に眼を向けるキッカケとなった凄い作品力!

僕の㊙音楽図書館であるM田さんからこれをお借りしたのはもう大分前のことになる。2年前くらいかな。今敏監督作品である「パプリカ」。併行して映画の「東京ゴッドファーザーズ」を借りたので、本作パプリカの映画と映画音楽をゴチャゴチャにしていた時期があります。やれやれ、今は勿論整理が付いておりますけれど。さて「パプリカ」の音楽は平沢進が担当しております。(因に"東京ゴッドファーザーズ"は鈴木慶一

では、何故に今頃になって、本作を引っ張り出したのか?
ひとつの理由として、今も時折聴いてしまう、その計り知れない魔力の存在。ふたつめは、先日お借りした「童夢」のイメージCD(童夢は映画化されておらず、そのイメージを土台にしたファン向けの音楽)を聴いたことによります。
童夢」はアニメファンなら説明不要の名作ということであり、アキラの前身にあたる、しかししてアキラにはない仄暗い魅力が感じられる力作と言えましょうか。この童夢をイメージ化した音楽というのなら、俄然興味は沸いて来るのであります。そして本日iPodに流すべくCDをカートリッジに入れて試聴をスタートと。。数分後、僕は針を上げておりました。これは駄目ですね。アレルギーを起こしたのは冒頭で入って来る打込みのリズムの音・フレーズからです。気が付くと聴く力はもう殆ど残っていない(笑)、しかし、そこはそれ。せっかくM田さんが別部署から送ってくれた"ブツ"ですから、1曲づつどんなものか?くらいは聴いて行きましたが、やはりスタート時の印象は覆らなかった。スクエアのキーボード奏者・和泉氏の音が聴ける!と喜んでいるコメントを見たりしたが、、うーん、、作曲においてコードプログレッションが稚拙なのが最も気になるところです。イメージと同化する音はサウンドに滅茶苦茶に凝るか、恐ろしくシンプルにするか、、そして現代音楽にも比肩し得る音使いを駆使するか、という鋭いアプローチ、思索が必要と思うのですが。大伴のアシスタントであった今の絵柄がどこやら似ているのは当然といえばそうなります。が、しかしその"くっ付いている音楽"となると話は別です。こちら「パプリカ」は何故に聴き続けるのか?映画音楽、たとえそれが絵のバックに置かれる音楽であっても相撲で言う「輪島と貴ノ花の大一番」(年齢がバレます、笑)のように、がっぷり四つでなければならない。BGMだからとか、音楽が邪魔しないように等というのは"いけない考え方"であり、それは本業の音楽と何ら変らない作品力が必要なのだと思う。その点、このパプリカはどうだろう? 劇場(映画館)のシーン、わけの分からない化け物達の行列が炸裂するわけだが、その時の音楽の切れ具合といったら、、。これは音楽だけを取り出しても確かに面白く、バンドでカバーするか、と考えたこともあるくらい。しかしコレは紛れもなく「映画音楽」なのだ。なぜって映画とシンクロした時のスケール感は尋常ではないから。音楽に力があるだけに、絵を押出す「圧」へと転化されて、とてつもないインパクトを生むことになる。本アルバムは普通に音楽アルバムとして聴けるものなのです。そして「こういうセンスっていいよね」となる。しかも、その後に映画でこの音楽の重なりを確認するとイイ。凄い仕事っぷりだなぁ!!!と感心して終いには呆れてしまう。音楽だけを聴く→映画で確認する→音楽だけを聴く→映画で再度確認する、このようにリピートすると何かがあぶり出されて見えて来る気がする。平沢進Pモデルの頃から知っている。でもセンスを認めても何か音を詰め込み過ぎてゴチャゴチャした印象(おそらく、もう少し聴くべきだったか、と反省はしてます。)で、どうしても音楽家としての動向は「坂本龍一」の方に注目が行っていたわけですが、この作品を聴くと、あっさり掌を返して、もっと評価されて欲しいと思うのであります。音楽の内容としては、初めての耳には音数過多でゴチャゴチャと聴こえるかも知れません。しかし、その練られた音の万華鏡に最後は押し倒されます。第一に旋律のラインに他にはない魅力が感じられます。また、音楽のタイプも色彩に富み平沢進の守備範囲が如何に広いものかが伺い知れます。映画、音楽共に保証付?オススメです!! 《本評は大幅に(笑)2回目の加筆修正しております。2019.06.12》

音の"渦"「烏頭」TRIALOGUE


爆音系?違うでしょう!一線隔てている、、。

先頃、僕のバンドと対バン(共演)したばかりです。
久しぶりに聴いた"生・烏頭"ですが1、2年前より格段に音が整理され「研ぎ澄まされた」印象を受けました。
本作はライブで演奏された作品と、部分紐づく内容となります。が、収録は更に音がタイトで聴きやすい内容になっています。
この音楽が聴きやすい(耳当たりが良い)、、というのはバンド音楽にとって大切な要素となります。「合奏」の例として、アメリカを代表するオーケストラのひとつ「クリーヴランド管弦楽団」は恰もバイオリニスト一人が演奏しているかのような音である、、と評されます。それを、まるでレントゲンで音を見ているようだ!と否定的に捉える頑迷なクラシックファンも少なくないのですが、ジョージ・セルが黎明期より鍛え上げた、合奏する力がこうした透明感を生んでいると言えそうです。
烏頭をリハ時、僕は上記内容を思い浮かべておりました。リズムが整うと、その分キレイに隙間が空くことになります。それは、1次元のバーコード"白黒の世界"にも似て、音楽を明快なものに仕上げます(因にQRコードは2次元、本評の表現には使えない)。このユニットほどの轟音、壁にも感じさせる音数の多い世界であっても、しっかりと隙間の存在があります。

本アルバムはミニアルバムとなります。3作品の構成となりますが、それでもなかなかの充実ぶり、聴き応えがあります。また、改めてピアノ・大和田さんの作品力と、信じられないほどのピアノの出音に羽交い締めにされてしまいました。聴き手の殆どは、まずこのピアノの信じられない音に「やられる!」のだと思います。このバンドはアルバムが気に入ったのなら、ライブに行くべきです。ライブの烏頭は、何と言うのか一種恍惚とした世界が展開されます。信じられないほどの音数の隙間から、強烈なイメージの光が瞬いているような気がします。これを単に爆音系とは言わないでいただきたい。素直に聴けば、その旋律とハーモニー、演奏キャラに押し倒されるしかない、ということになります。
そういう音楽に徹底的に押し倒されたいという、ド"M"な人間にはピッタリでしょう。収録の3曲は、どれかが突出している、、というのはなく、、結局「3曲」が突出していると。近似しているバンドとしては、かつて僕が周囲に存在するバンドの中、最も尊敬した「る*しろう」があげられます。(但し、僕が好きな「る*しろう」は1stアルバムの頃に偏るわけですが。)違いは、烏頭の方が、重く暗い質感で、民族音楽のようなセンスが感じられる。また音の組み立てに、既存のモードやコードプログレッションを基軸とした僕のようなタイプとは異なり、もっとピュアな深いところから、研鑽と音への思索への積み重ねから表出したラインに(個人的には)感じられる。ライブでは僕の再生させたばかりのFLAT1-22など簡単に捻られてしまいました。しかし、烏頭というバンドがこの世に在って良かったな、、とヤケに感心しつつ何時もの有楽町線で小雨の中、成増山へと帰宅の途についたというわけです。《この評は加筆修正しております:2019.04.07》