オススメ・アルバム

〈 g e n r e 〉

ヤコブ・ブロ/Gefion「踏み絵」のような?〈加筆・修正〉

まず最初に〈加筆・修正〉とお断りを入れたのは、数回聴いているうちにこの作品に対する自分の感じかたが大きく変わって来たからです。こういうタイプの音楽は少し時間をかけて余裕を持って接したいものです。

ECMと言えばこんなジャケット、というお約束のデザインですが、素敵ではあります。内容としっかり合っているか?と言えば、合っているような違うような、、気もしますが、とりあえずこのジャケットデザインも手に入れた理由のひとつですね。

今もって、ジャケ買いありの自分です(笑)

ECMってのはこういうイメージ構築が一環しており、それは上質で透明感のあるところで歩みは一定なのです。ここまでハッキリとした打出が出来るのは簡単そうで実は大変難しいことだと思います。そしてまたそれを可能にしているのは、音楽制作に於ける殆どの要素がマフレードアイヒャーという一個人に帰結するところがあるからです。

このアルバムもまた実にECMそのものです。それはECMのもしかするとアキレス腱なのかも知れません。良い意味でも、あまりそうではない意味でも。ECMからリリースされた作品を聴くと、そのアーティストと同時にECMというイメージが既に横たわっているところがあるから。サウンド、ジャケット、そしてアーティスト。下手をすると、そのアーティストを聴いているというよりはECMを聴いているという気がしてしまうと。

そういうことで僕は、このレーベルの音楽を年中聴いているわけではないのです。意外な程時間の空きが大きい。でもそれはそれで良いのでしょう。たまに「そうだ!ECMの音楽が聴きたい」と気が付いて、アーティストや作品を探してみる。それもまた囁かな楽しみというわけです。

 

さて本編にまいりましょうか。ヤコブ・ブロはデンマークのギタリストです。楽器編成はギター、ウッドベース、ドラムというギタートリオです。因にベースは Thomas Morgan、ドラムはECMでは中心的な存在でもある Jon Christensen という布陣です。

まず全体像。聴いた後の生まれた言葉としては「浮遊感」でしょうか。強い音で押し倒すようなところは殆どなく、浪々と、先を急ぐことなく音楽を進行させる。こういう音楽の押出し方には、とても合う楽器構成だと思います。ギターという楽器がそういう浮遊感を押出すのに適しているところがあり、例えばビル・フリゼールなども同じ方向の音造りだと思います。

僕みたいなせっかちで落ち着かないのとは正反対の音楽でもあり、聴いていて何だか妬ましいような、「ずるいよ!それ!!」と言いたくなるような(笑)脱力した演奏内容です。

これを今日、2回それぞれ通して聴いた。1回目はお昼を食べに成増駅近くに歩いて行った時。2回目は夕暮時ウォーキングのBGMとして。

そして、これは聴く度にその音楽の味わい深さ、イメージ表現の素晴らしさが身に染みてくる作品であることが分かるのである。

ベース、ドラムのアプローチは、このサウンドに徹頭徹尾奉仕する。

けたたましいテクニックや、音数勝負の表層的な音楽とは一線を隔てるタイプの気高い音楽だと思う。

ヨーロッパではこうした音楽を普通に聴かれるし、人気を集める。というかこういう音楽を好む人達がしっかりと根付いている。

聴き手を驚かすような仕掛けがあってもこの音楽は揺るがないだろうという気がする。が、しかしこの音楽が求めているのは、おそらく心理の共有みたいなものだろうと思う。対象となる空気感、寂寥感、温度感、湿度感、吹く風の表情、それを感じ心に沸き上がる言葉には出来ないとても微妙な動き、それを共有する。

もちろん、それは共有であって、共通の認識ということではない。イメージはあくまでも個人の心の旅から生まれるものであって演奏家の伝えるベクトルから方向や形を変えることを自由なものとするのは当然である。

音楽家が聴き手にこのように聴いて欲しいと考えるのは自由だが、しかし聴き手もまたその感じ方と楽しみ方は同じく自由なのだ。そこに各々が持つフィルターが介在して音楽の方向は最初直線だったものからあらゆる曲線へと変容していく。その音楽家と聴き手側の断層というのか、イメージの変換とでも言うのか、それこそが演奏音楽の醍醐味というものだと僕は思う。

フリーミュージックにもありがちがだが、もう少しシンプルで輪郭のハッキリしたラインが欲しいというところはある。そして、その後ろ側でベースやドラムがこうしたアプローチをすれば、サウンドにコントラストが生まれより立体性を生むのではないか?と個人的見解ながら思う。

ただ、それは実に受動的な聴き方とも言える。より耳を澄まし想像を膨らませつつ接してみるとか、もしくは先ほどの散歩に帯同させるとこの音楽は途端に生命力を増す。そして何時も見慣れている風景の違ったところ気が付いたり、歩いているという感覚がいつもとは違う半分夢の中に入り込んだような気分になったりする。僕もそういう「作用のある音楽」を目指して久しいが、言葉で言うのは簡単であり随分と難しいものだ。

こういった音楽を構えないで、なにか環境音楽のように部屋に流しておく、という飄々とした聴かれ方でも良いと思うが、実はこの音楽、例えて言うなら北の大地に根をはる巨木のような強さを感じる。

「自分はこう言う音楽が好き、他人は関係ない。」

出る杭は打たれてしまうどこかの国とは明らかに違う国。そういう文化といったら大袈裟だが、そういう世界から発信された音楽という気がする。

この音楽を聴いて何だか、ポヨ〜ンと音が浮かんでいるだけでつまらない!「一体何コレ?」で、針を上げてしまう人も少なくないかも知れない。つまり「その聴き手がどういう音楽を求めているのか」という"踏み絵"みたいなところは確かにある。

もちろん、一聴して昔のキンチョーの宣伝(大滝秀治さんの)のように「つまらん!」で終わってしまうのが悪いとは思わない。実際、ある角度から眺めたら、それもまた正しい。

しかし、そこを少しだけ我慢して2回目を行って欲しい。そこにはハッキリとしたテーマがあり、虚飾を排した静謐で他ではなかなか聴けない音楽が在るのだから。

それにしてもだ。ギターという楽器があらためて良いサウンドを造るものだと感心のである。

そして、この作品は「なるほど自分がギターに縁がないわけだ!」と言うことをやんわりと教えてくれる。自分がギターという楽器に望んでいたことには大きなズレがあったという残念な事実。やれやれである(笑)

GoGo Penguin / 最近のピアノ音楽事情

GoGo Penguinはピアノトリオです。

V2.0

新しいジャズピアノトリオ等とネット検索すると出現率の高いバンドです。

本作は何やらソフトのバージョンのようなタイトルが付いております。

自分の勝手な思い込みで米国のユニットと思い込んでおりましたが、イギリスはマンチェスター出身となります。

そういうわけでもないのだろうけれど、音楽の色彩が少しダーク。陰影に富んでおります。そういう少し物憂い色調を好む向きはハマる可能性があります。

このバンドをジャズの括りということを持ち出すのはあまり意味がないでしょう。惜しくも不慮の事故で亡くなられたピアニスト「エスビョルン・スベンソン」の率いる「E.S.T」であればジャズの端っこくらいには入りそうですが、、でもあれでも大分違うところがあります。

僕は、この種のピアノユニットが出現して来たのは"自然発生的"なことだと思います。こういったタイプのバンドは他にも少なくないので、いずれ何か括りとしての言葉が生まれそうな気もします。

E.S.T、それからベースレスのサックストリオであるMAMMAL HANDSも同じ系統と言っていいか。勿論、音楽内容としては違うが、根っこのところでの大切な要素、そのいくつかに近似性がある。

自分としては、こういった中でこの本作を演奏するGoGo Penguinが一番好きかも知れない。

そしてそのリリースしたアルバムの中ではこのv2.0が聴いていて気になるところなくスーッと心に入って来る。他作品ではベースのピッチに違和感を感じたり、ハーモニーの取り方に疑問を持つところがあったりと、すんなり入り込めないところがあったのだけれど、本作はOK。また2016年リリースの「MAN MADE OBJECT」と比較しても、力が抜けており、飄々としたサウンドでうるさく感じない。

リズムに工夫があり、ドラムンベースやラテン的なフレーズを入れるところがあるが、そのセンス自体はとても好ましいが、時としてガシャガシャとして雑然となる傾向があると思う。その点、この作品は不思議にスッキリしているように(個人的には)感じられる。録音の状態(使用したスタジオ、エンジニアのセンス、収録時のメンバーの調子)にもよるのかも知れない。

このバンドの強みはその作品力にある。演奏も決して下手ではないが、聴いてすぐにこのバンドと気が付く強みがある。

これは最も大きなポイントと言ってい良い。

ジャンルもバンドも関係なく、たとえクラシックのオーケストラでも、聴いてすぐに"アレ"と分かる事ほど得難いものはないのだ。

音楽ファンが聴いて、勘違いして他バンドとごっちゃにされては音楽家も考えた方がいいだろうし。演奏は作品の下に位置するのだ。いくら優れた演奏力を持っていたとしても作品に力なければ、その演奏は力が在るだけに押し付けがましいだけの雑音にしかならないだろう。

既存のスタイルのかき集め、、音ネタのまま自分の中で咀嚼し吸収出来ないまま差し出された音楽ほど、聴く者にとって迷惑なものはない。

さて、、またまた脱線してしまいました。(@д@)/

このバンドはこれからが問題だと思う。スタイルはしっかりあるが、作品をただ連発していくだけではこのテイストでは飽きられてしまうかもしれない。それも意外に早いうちに。「たまに聴いてもらえばOK」とメンバーが考えているのであれば、それでもいいが彼らの若さから想像するとそうは考えていないだろう。ドラムの工夫から比較するとピアノとベースの工夫が少し足りていない感もある。この辺を慎重かつ大胆なアプローチで乗り切って行ければ、まだ先はありそうだ。

日本国内でも既にハマっている音楽ファンが少なくない。

やはり新しい音楽を渇望しているファンは多いのである。僕も音楽家の端くれだが、愛だ、恋だ、というソングもいいけれど、こうした演奏音楽にも耳を傾けて欲しいと願う。そういった音楽は言葉では到底表現の難しいささやかながら"美しいイメージ"があるのだから。

ピアニスト/Martin Musaubach 知っている?

www.youtube.com

何しろ凄いと!全く知らない方ですね。

実際、楽器店のサイトからリンクで辿って来たわけでして、この動画もStudiologic/Muma Pianoというステージピアノのデモとなるわけです。

アルバムもリリースされているようですし、他のライブ動画では普通に生ピを弾いているものも転がっております。でも自分的にはこの動画の作品が良いように思います。

分かり難い名前ですが「ムサ」と呼ばれているようですね。

昨今の若手ピアニストの静かなブームというのか、そういった流れとは若干隔てた作品です。

ザッパ的なところもりますが、まっ、こういった凄腕に普通に見受けられるように様々影響が見えます。

それにしても、駄目になりつつある我が愛用KORGのSV-1の代わり(資金があるわけではないが)となるEPを物色していたら、この海外モデルが目についたと。

そして聞いたこともない一人のアーティストに行き着いたのですが、大体新しい音楽を知るのは、こうした偶然の重なりから、、ということが自分の場合圧倒的に多いです。

こういう面白いアーティストを発見すると刺激が強くて自分の作業にも良い影響が出て来ます。

結局、こんなことでステージピアノ選びは関係なくなってしまいました。

SV-1の不具合も無理に気にしないことにして、様子をみます。ダンパーの発するノイズ設定が勝手に変ってしまうという、おそらくは故障だとは思うのですが。

さて、話をこの作品に戻すと、リズムの変化とパートとパートの境目に置かれた特徴的なリフが耳に残ります。それ以外はリズム中心の押出しとソロ中心のセクションで、それはそれでカラフルで、飽きさせないです。

またピアノのテクニックも相当なもので、これだけの素早いパッセージを、しかも右左のコンビネーションで行うのは凄いです。定番的な技ですが、それでも他のピアニストを圧倒しています。

ただ、それでは他のピアノトリオで売り出し中のイギリス、アメリカ辺りのアーティストと比較すればどうか?と言えば、確かにこれを聴いた後では彼らの音楽はBGMでかなりポップに聴こえます。

しかし、ではBGMでポップなセンスではいけないのか?と言えばそんなことは全く無い。大切なのは、そこに捻りが利いており、他では代えが利かない旋律、ハーモニー、バンドとしてのサウンドがあるかどうか、ということになると思います。

このピアニスト「ムサ」の楽曲は間違いなく面白いし、注目するに値しますが、他の作品を聴いてみないと実像は分からないと思います。リリースされているアルバム全体を聴いて初めて自分のライブラリーに加えられるということになります。

楽しく、心の琴線にふれるようなアルバムであることを期待します。

収録風景/ホロヴィッツ モーツァルトピアノ協奏曲23番

ホロヴィッツは僕が最も尊敬するピアニストです。

モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番、ピアノ・ソナタ第13番

 Youtubeにアップされているホロヴィッツの収録風景は僕にとって、最近特に興味を掻立てられる内容だった。

譜捲りの若いスタッフがうっかり忘れて巨匠が自分で譜面を捲ったシーンなどは面白い。気難しいことでも知られたホロヴィッツですが、こういったことでは怒らなかったのですね。クスッと笑って「コラ!」と言った感じです。

また指揮者ジュリーニとミラノスカラ座オケとの雰囲気もとても良好です。

というか巨匠に対するジュリーニジュリーニもまた巨匠ではありますが)の気遣いが、伝わる絵柄でもあります。

ピアノに向う以外は絶えずおしゃべりなホロヴィッツ、笑顔ながら寡黙なジュリーニが対象的です。

これはホロヴィッツが天に召される2年前の映像ということですが、おどろくほど元気で明るく、矍鑠としている。

ブレイクしている時は、自分も楽団に向って指揮をしたり、譜捲りの青年にコソコソと話しかけたり。

しかし、その一挙手一投足には、プレッシャーから自分を解放し、モーツァルトに対峙する自分を鼓舞する気持ちが痛くなるほどに現れている。

それにしても、この出音の素晴らしさは何だろう?

ピアノの精緻に整えられたコンディション、オケとの相性、技術陣のピアニストに対する理解。様々なポイントが考えられそうだが、しかしこれが他のピアニストではこのような音にはならないと推測出来る。

そこはやはりホロヴィッツ本人の特異なタッチ、そしてそのタッチによるモーツァルトとの関係性において、、ということになると思います。

言葉で言うと何かイメージが萎んでしまいますが、敢えて思い浮かぶ言葉は「立体的」ということです。このピアノから紡ぎ出される音は、とても濃厚で独特な温度・湿度感を伴い、3次元的な立体性を感じさせるものです。

このような奥行きが感じられるピアニストはなかなか居ないし、ホロヴィッツ自身にしても若い頃の演奏内容とは随分違うところがある。

というか、こういった境地に辿り着いたのか?と感慨深い。

30歳頃のリストのソナタ等を聴くと、本当に腰を抜かすほどに凄い。そのリズムセンスは誰にも真似出来ない。「神様がピアノを弾いたらこんな音かも知れない」という轟音の間、深い断層の鋭利なイメージ。

本作でのホロヴィッツを聴くと、長きに渡って孤独に試行錯誤していたのではないかと想いを馳せます。

それにしても何と魅力的な音を引き出すのでしょう。

身体全体の使い方、指の独立性、そこにも特異なところが見えます。

指を寝そべったように延ばして弾きますが、動作していない指の畳み方などにも興味が行きます。

真似してみたくなる弾き方です。

しかし、ピアニストが10人いたら、10通りの弾き方が在るべきでしょう。

自分の骨の造作、筋肉の質に見合った(最大公約数的に)脳からのコントロールが得られるフォームの確立を目指すということになります。

ホロヴィッツ自身がきっと説明が難しい、と思っていたところにこそテクニック神髄が隠されているはずです。

その大切なポイントに近づくほど言葉というのは力を持たない。

昔、指示した(今でも尊敬しております)先生は、折に触れて「モーツァルトは、とても難しいのよ」と言っていたものです。

ラヴェルを売りとするピアニストである先生がモーツァルトが難しい、ということに当時18歳の僕は違和感がありましたが、それは今「そりゃそうだ!」と普通に理解出来ます。この骨組みだけで出来ている作品内容、定規で完璧な線を引いたようなお驚くべき精緻な音楽。

ホロヴィッツもおそらく、そういった難しさは感じておられたかも知れません。

しかしその高いハードルを飄々とした表情で超えて、収録を終えました。

その少し前に薬の影響から悲しいほどの衰えを隠せなかったところから、最後力を振り絞ったのでしょうか?

不死鳥のようでした。

辿り着いた世界、それは音の天国のような場所だったに違いない。

彼より弾ける若手、指の回るピアニストは少なくないです。

しかし彼のように弾けるピアニストは存在しない。

何時までも聴かれるピアニストでしょう。

Beatls/Revolver(リボルバー)ー 平伏するしかない?

今更ではない!これからのビートルズ

ビートルズ・アルバム評の第一弾は「Revolverリボルバー)」となります。

僕のイチオシと言えば「Revolver(リボルバー)」です。これは全く迷わずに。

 

小学生の僕にとって、ビートルズ初体験はあまりに強烈だった。
Get Back
特にコレ。過激過ぎた!!!!
叔母の家で聴かされたビートルス。

「Let It Be」例の有名なジャケット。ビートルズを初めて聴いたのがこの最後のアルバムだった。リボルバーを聴いたのは高校時代、5年後となる。

釜石市両石町にあるこの家は津波でもうありませんが、心の中で普通の状態で生きてます。自分にとって大切な人、モノ、馴れ親しんだ景色、例えこの世からなくなっても心の中に在る限りは消失したことにはならないのだと思います。
聴いて腰を抜かしたというのなら、やはりビートルズピンクフロイドということになるでしょう。

それにしてもビートルズ、最近気になるのが不思議。
でも、冷静に考えると、僕にはビートルズ周期というのがあって、それが今、来ているのかも知れない。オリンピックとか、皆既月食とかと同じように。

ビートルズが数多のバンドと一線を隔てているのは、その実験精神に在ると思います。それは、子供の好奇心同様に止まることを知らない。そして、それでいて変に奇天烈にならず、誰が聴いても気持よくなれるところが素晴らしいのだ。1曲はとても短く、言いたいことだけを言うと勿体付けないで、あっさりと終わってしまう。中には途中で止めたような曲もあって笑ってしまう。大体が2分とか3分とか、という尺の短さだ。彼のスティーヴン・キングは序章において「作家にとって短編こそが難しいのだ」と述べた。どこか通じるところがあって興味深い。


彼らは、変にアカデミックになったりしない。
むしろアカデミックをちゃかしたりするセンス。パロディ精神。
マエストロ・レナードバースティンをして「ビートルズの音楽はバッハの美しさに比肩しうる」
実に痛快じゃないか!!

さて脱線も甚だしい。本作のベストテイクは、、、
これは、何と言っても「Tomorrow Never Knows」でしょう。
実にカッコいい。この音楽造作には呆れてしまう。リズムマシンのように変化を回避したドラムのリフと、SE(テープ使用?)の織り成す新世界だ。
僕の中のビートルズでは、突出して現役バリバリの曲と言える。本作は前作となる「Rubber Soul」、その後にリリースされることになる「Sgt Pepper's Lonely Hearts Club Band」「Magical Mystery Tour」に挟まれた格好だ。そして後発2作はアルバムカラーが似ており、しかもビートルズの最高傑作と評する場合が多い。その理由からなのか若干"隠れた名作"的なところがあって、ポツンと離れたところに佇む印象を、僕は持っている。

 

どのアルバムがビートルズの最高傑作とするか?

よくネタにされるけれど、もしかするとあまり意味を成さないかも知れない。自分にとって最高傑作であればそれでOKだと思う。作品を重ねて点数を出すような寒いやり方だったら間違いなく「The Beatles(通称:The White Album」となるだろうか。しかし、敢えてこのページで「Revolver(リボルバー)」を取り上げたのは、本作がアルバムの出来具合とは別に持っている、独特な風合い、透明感みたいなものからです。これは他のアルバムでは感じられない特長です。他より手触りが冷たく、涼し気で、アルバム全体として何かひとつのイメージがある。これは個人的な見立てです。こういった自分なりのイメージをアルバムに持っている人は特にビートルズの場合多いと思いますし、その想いは熱く強いものと容易に想像出来ます。ビートルズなので、誰でも知っている曲が数曲入っています。「Eleanor Rigby」「Yellow Submarine」等。

しかしこのアルバムは、中心となる作品の脇を固める楽曲に驚くほど美しい旋律をもつ「Here, There and Everywhere」「For No One」が置かれていることがポイントとなります。


余談ながら、東京ドームで行われたローリングストーンズのライブで、ビートルズのビデオがオーロラヴィジョンに映ったことを時折思い出す。
このコンサートがビートルズだったら(ストーンズファンには申し訳ないけれど)と思うと泣けて仕方がなかったです。先頃ポールが来日しましたが、ポールひとりでも行けば良かったかなぁと、少し後悔。
ジョンもジョージもこの世に居ないということが、とても寂しいです。
しかし、これだけの作品を残してくれております。これからも、折に触れて聴いて行きたいものです。

もっと評価されるべき "ショスタコーヴィチ"

ショスタコーヴィチ:交響曲第5番

映画音楽のルーツがここにある。

さて、遂にショスタコーヴィチ御大の登場です。
ロシアの誇る近現代作曲家、クラシックの長き歴史の中でも間違いなくベスト10入りする大作曲家でしょう。
その作品の中で最も有名な作品がショスタコーヴィチ:交響曲第5番となります。

高校時代、吹奏楽部でユーフォニュアムをやっていた友人に薦められて聴いたのが初めてのショスタコでした。後々知ったのですが、実は彼が聴いて欲しかったのは4楽章であり、僕は陰鬱で灰汁の強い1楽章を我慢して聴く羽目に。
いやぁ、、ピンクフロイドの狂気も驚いたけれど、この"ショスタコ"も「何て暗くて気持ちの悪いサウンドなんだ」
とかなりゲッソリした記憶があります。

しかし、何故か惹き付けられるところがあったのか、結局何度も聴く羽目に。
僕の実家は釜石市鵜住居町というところです。高校時代、駅前に本屋さんがあって、そのお店の小さなスペースにレコードが置かれていました。
クラシックは廉価版が置かれていて、僕の小遣いでも購入可能でした。
僕が買ったのは(それしかなかったからですが)ボーンマス交響楽団、指揮者はコンスタン・シルヴェストリという方でしたが、裏表紙に書かれたライナーノーツによると、急逝してしまいオーケストラは後任のことで困っている、とありました。

ショス・5」に関しては、この演奏が僕のメートル原器です。

レーナード・バーンスティン+ニューヨークフィルのものが有名ですが、僕はどうしてもこの最初に聴いたものと相性がいいようです。
不思議です。これを聴くと、あの頃の自分と出会えるからなのでしょうか?

1楽章 重く陰鬱で、まるでざっくりと刻まれた漆黒の彫刻をイメージしますね。こういう旋律を書ける作曲家の強い意志・自制心を感じ圧倒されます。後半になるとスネアの特徴的な連打でテンポ感を演出して、この楽章を色調豊かなものとしております。そのアレンジの妙に引き込まれます。

2楽章 一転して明るく奇天烈な3拍子系となり、まるでサーカスのピエロのようです。このセンスは他の作品でもよく聴かれるショスタコ節の定番的なところでしょう。

3楽章 個人的見解ではこの作品中最もインパクトの強いパートです。おそらくロシア人でないと、こういう雰囲気は造り出せないだろうという響き。ロシア特有の季節感溢れる楽章ですが、圧倒的に旋律が美しく、特にハープをバックに演奏されるフルートは秀逸と言えます。またこの楽章の本作品の中で、最も精神性の深いところを感じます。

4楽章 分かりやすい楽章。華やかさを持つフィナーレです。ロシアの大地を感じさせる雄大なスケール感。ティンパニをはじめとした打楽器、特に金管楽器のアレンジは素晴らしい!という他はないです。

それにしても、ぶつかり合う対旋律からあれよあれよとキレイに解決するラインの構成は、筆舌につくし難く、バルトークとの近似性を言われることが多いですが、やはり違うと思います。
ショスタコは若い頃、無声映画の伴奏を仕事にしていたそうです。

その影響が作品の随所に出ているのでは?と思うのですが、考えてみれば昔のアメリカ映画やTVドラマ、例えば「名犬ラッシー」や「逃亡者」等の音楽はショスタコのようであったと記憶しています。というか当時のアメリカの劇伴をやっていた作曲家は、ロシアの作曲家、ショスタコーヴィチプロコフィエフ、更にストラヴィンスキー辺りから
少なからず影響を受けていたのでは?と推測されます。音楽と映画、音楽と絵画はどこかに接点があり、深くつながるところがあるのでしょう。

この交響曲の3楽章を聴いてみてください。
映画のワンシーンに自分が置かれているような気持ちになります。
一生に一度で良いから「こんな作品を書けたら」と何時も思います。
しかしこの当時のロシア(ソ連)社会の圧迫や、政治情勢のことがこの作品のキャラを決めている部分があるのは確かです。
音楽は、少なからずその時代の世相を反映するものだと思いますが、
本作品でも「政治の関与」つまり、、プラウダ批判のことが必ずと言っていい程、説明にあがる。
この曲によって当局の批判に晒されたショスタコは名誉を回復したとある。

事実はそうなるのかも知れないが、僕はそういうことを、この作品に持ち込みたくはない。音楽を行うということは、本来音楽本意であるべきで、政治がそこに介入することは音楽の存在そのものを否定していることに他ならない。
僕はこの信じられないほど素晴らしい作品を(ショスタコ本人がどのような気持ちで書いたにせよ)純粋にイメージ表現の具現化として受け止めたいと思うのです。

今日は少し重くなってしまいましたね。
でもたまにはいいでしょう♬

ジャケが、、キングクリムゾン/宮殿

クリムゾンの連中は今も宮殿で暮らしている?

実は僕、文通している方がいます。素敵な方ですが変な関係ではないですよ。アメリカに居住の音楽友達です。
その方が珍しくプログレッシブロックにお詳しい。

鼻歌で「風に語りて」を歌ったりするらしい(笑)
だからこその得難い友達なのですが。
風に語りて、「I talk to the wind」超名曲ですね。これが入っているアルバムと言えば、「宮殿(In the Court of the Crimson King)となります。カッコ内の"In The Court Of The Crimson King"が正しいタイトルですが、僕は「宮殿」という邦題の方が何とも言えないイメージを感じますね。

すこし野暮ったくて、生暖かく適度に湿っているというのか。

それにしてもこのジャケットです。僕のCD評に登場する「レコード・ユキ」。いつも少し機嫌が悪そうな、そして微妙に可愛いお姉さん。彼女の立っているレジにこのレコードを持って行くのか実に、何と言うか大変な気持ちでした。(当時、釜石市のスポーツ用品店「田丸」の傍に在ったと記憶しております。)
ピンクフロイドといい、クリムゾンといい、何故にこうもガイキチオヤジがお好きなのでしょうか?この真っ赤な顔、口をあんぐりと開けてノドチンコまで見えております。この顔色、どうしたって血圧ヤバそうですよね?ジャケに登場している場合じゃないす。すぐに病院に行った方が良さそうです。
1曲目の「二十一世紀の精神異常者」からすればジャケのイメージ通りですが、他の曲が美メロ揃いなだけに今でも違和感があります。でも、インパクトが凄いですね。国産アルバムでは難しいデザインかも知れない。

プログレ界のご多分に漏れず、メンバーチェンジの多いバンドですが、ファーストアルバムの本作ではベーシストがグレグ・レイクですね。彼は、結果的にELPに落ち着くわけですが、決してクリムゾンに合わなかったというのではないです。むしろ後発のJ.ウェットンよりも僕は好きですね。
J. ウェットンは決して下手ではないけれど、何時も声が苦しそうで、僕は喘息でひどい目にあった少年時代を思い出してしまいます。ベーシストとしてもグレグ・レイクの方が好きです。ですが、このベースがロバートフィリップの気に入らないところだったらしく、脱退(クビ?)の大きな要因とも言われております。

2作目「ポセイドンの目覚め(In The Wake Of Poseidon」ではベースがピーター・ジャイルスにチェンジされています。因にこの2作目のジャケはなかなかの秀逸だと個人的には思います。

ベースはこのユニットの鬼門というのか、次から次へと変ります。よく隠れた傑作と評価される「アイランド(Islands)」では、ボズ・バレルのヴォーカルを推すクリムゾンファンも多いですが、彼もまたベーシストであり、その後、バッドカンパニーへ参加することになります。因に彼にベースを教えたのがロバート・フィリップであったということです。


余談なりますが、この中でも特に人気のある「エピタフ(Epitaph」はザ・ピーナッツがカバーしており、これはYoutubeで聴くことが可能です。なかなか凄い世界ですよ。演奏も忠実にコピー(特にドラム)しているところがり、ピーナッツのお二方の歌がまた素晴らしい。
和風「エピタフ」是非に、ご試聴トライしてください。

https://www.youtube.com/watch?v=Y21_bGNsKVo

原曲のイメージをちっとも損なっていないと思います。しかもライブ。良き時代ですね。西城秀樹さんやフォーリーブスも歌ったそうです。

このアルバムが名盤と言われる理由は、ジャケデザインを含めその要素は色々だと思いますが、突き詰めれば分かりやすい旋律ということになると思います。
語弊があるかもしれませんが、浪花節、更に語弊を恐れずに言えば演歌調と。

「宮殿」から始まったこのユニットは 「RED」を区切りに活動を停止するわけですが、この分岐点となるアルバムは、三人(R.フィリップ、B.ブラッフォード、J.ウェットン)で成立させております。これが先々再生されるクリムゾンの萌芽と捉えることが出来るかもしれません。新しいクリムゾンは(僕個人としては)理想的なメンバーで構成されておりました。トニー・レヴィンビル・ブラッフォードのリズム隊を主軸とし、エイドリアン・ブリュー。そしてクリムゾンの歴史そのものであるロバート・フィリップ。クリムゾンの長き歴史の中でもこの時期が最良だったように思います。
ミニマル、ポリリズムを多用し、よりソリッドで隙間の空いたサウンドでコンセプトを明確なものとしました。黎明期と比較するとこれが同じバンドか、と疑ってしまうほどに異なるサウンドです。僕はどちらかと言えば新型クリムゾンの方を好みますが、それでもこのバンドの根底に横たわるのは、紛れもなく「宮殿」なのだと思います。

 

本作はサックスやフルートなどの管楽器を配置して、全体としてカラフルな色調です。ドラマーのアプローチはジャズに触発されているのか、ロックの括りだけでは語れないセンスが散見されます。また、とにかくどの曲も旋律がキレイです。この分かりやすいキレイな旋律が在るところがクリムゾン初期の良きポイントだと思います。