ピアニスト・タカの脱線CD評

FLAT122キーボードとして活躍・ピアニスト・タカ音楽評

現代音楽の寵児・リゲティ/エディション3

「現代音楽の寵児」実際リゲティは、度々このように紹介されます。
聴いて楽しめる現代音楽とも言える。
リゲティという名を初めて聞いたのは高円寺のライブハウス「ペンギンハウス」に出演した時だった。「懐かしく、遠くなってしまった世界だなぁ」と思うけれど、随分やらせていただいて腕を磨くことが出来た。FLAT122(検索すると何か出て来るかも知れません)はこの場所で、音楽を育んで行ったと言っても良いだろう。

リゲティ・エディション3 ピアノのための作品集

そのライブが終わって機材を片付けていると、PAのSさんに(Sさんは既に居なくなったが)「セリー理論で音楽やってるの?リゲティとか好きなんだ。」
そう言われたのである。
僕は「あぁ、、、うん、、まあ」とか言ってごまかしたが、後でこっそりCDを聴いて気に入ったのである。
この知ったかぶりから、出来るだけ速く調べてCDを聴くのが肝要である。そのタイムラグが小さいほどに僕の罪悪感は薄れるのである。それにしてもリゲティと出会って良かった。

 

リゲティ。まずは、その作品力においては頂点に類するであろうと思う。
他現代音楽とはどこか一線を画しているキャラもあって、ジャズやロックファンの中にもリゲティ心棒者は少なくないかも知れない。このタイトル「リゲティ・エディション3 ピアノのための作品集」にはエチュードが入っている。

これは僕がリゲティを初めて聴いて腰を抜かしたエチュードが入っている。またそのエチュードの中に「」という作品が在る。この曲の美しさはどうだろう。絶対に他の作曲家では描き出せない音の重なり、展開だ。

これを聴くと「時間」のことを考える。

この世で最も美しいのは「時間」なのではないだろうか。
虹 が始まると、いつも「高校時代」授業が終わり放課後へと移行する頃合い、夕暮れに差掛かる中途半端な帯域へと自分が誘われる。物憂い色合いのチャイムが遠 くで鳴っており、生徒達の声が交差している。その描き出し方は押し付けがましくなく柔らかく独特な浮遊感を持って自分を包み込む。「虹」でリゲティが言い たかったことは、こんなことではないだろう。でも、僕には常にこのように作用する。その「イメージの屈折」こそが音楽の持つ素敵な側面というものかも知れ ない。

そにしても、こういう風に包容力のある音楽を僕は他に知らない。
これだけ高度な音使いを駆使していながら、その音楽の在り方はひたすら謙虚に漂っている。溜息が出てしまう。

も ちろん、他ではポリリズムで押し倒してくる作品もあれば、ある種不気味さを伴うものもある。そして散見されるのは、意外にポップな(こういう形容が許され るなら、、笑)旋律が内包されていること。音楽ファンのコメントにも「現代音楽なのに聴きやすい」とか「凄い音楽だが、同時に美しさを感じる」などとあり 現代音楽の作曲家達と比較しても頭ひとつ抜け出した評価となる。

根クラに専門性を追求するイメージが強い現代音楽の中では珍しく、飄々と音楽を進める。「このように聴いて欲しい」とか「このようにあるべきだ」という気難しさ、傲慢なところがない。そこがとても良いと思う。

素直に聴けば誰にでも楽しめるはず、、と僕は信じて疑わない。もし聴いてよく分からなかったら、申し訳ないのだけれど、何度か聴きなおしてほしい。必ず自分にフィットした作品があるはず。そこからこじ開けていくと良いでしょう。