ピアニスト・タカの脱線CD評

FLAT122キーボードとして活躍・ピアニスト・タカ音楽評

"作曲家" チック・コリア / 妖精

チックコリアの中では最も好きな作品

世代、聴かれるタイミングによって評価が分かれるのかも知れない。音楽ファンのコメントを拝見しますと、チックコリア御大であっても、評価が分かれるのですね。
それはそれで、面白いなぁ、、と思いますけれど。
評価が分かれる、というのは決して悪いことではないし、むしろ音楽家としては歓迎すべきことでしょう。やたらと褒められてばかりではつまらない。賛否両論があがっているほどに音楽の個性が強いという側面はあるかも。
この「妖精」を本ブログで取り上げるのは、先行してご紹介した、「ELP・タルカス」のところで、この作品に触れているからです。
僕はてっきり本サイトで紹介済だと勘違いしておりました。
何の事はない!それは昨年頓挫した別なブログにおいて書かれたものでした。お詫びの気持ちを込めて、ここで再びご紹介したいと思います。
本作を聴いたのは高校3年のNHK/FM「朝のリズム」でした。一瞬でスピーカに耳が行ったことを覚えております。入り込んでしまい学校に遅刻してしまいました(笑)
そして何故かこのアルバムを勝手に「ELP」の新作と決めつけて、しばらくは彼らがジャズ方向に舵を切ったものと考えておりました。バカですねぇ、、そして懐かしい。
僕は今もこのアルバムの魅力を感じることが出来ます。
聴く時間帯で言えば夏の早朝でしょうか。冒頭のゲイル・モランのヴォイスが美しい導入から2曲目のリズム隊とピアノの織り成す涼し気なサウンドの流れ方が何とも素晴らしく、上手な形容が出来ない自分の言葉足らずが悲しくなります。
サウンドが古く感じるという理由から評を下げる方も少なくないですが、僕はそうは思わないです。サウンドを支える最も大切な要素は何と言ってもベースです。

このベースには、アンソニー・ジャクソンエディ・ゴメスというエレクトリックべース・ウッドベース、それぞれの世界を代表するベーシストを配しております。そして時折("ムーグ"で弾かれたのであろう)シンセベースが聴こえます。このベースのカラフルなサウンドとピアノのバランスが、他では聴く事の出来ないグルーヴ感を押出していると思います。
この時代「マイ・スパニッシュハード」「マッドハッター」と本作を合わせてチックコリア「フュージョン3部作」と言われたものですが、僕はこの「妖精」を最も(他二作も傑作ではありますが)好みます。
それにしても、ここまで作品力に注力したアルバムはチック・コリアとしては珍しいです。ジャズピアニストは通常、演奏を聴かせるということが主眼で、作品の力で押すというのは希です。主題においては美しい旋律を持つものも少ないないのですが、、。
本作は、チック・コリアが作曲家としてアプローチしている姿が映し出されています。その辺りが、僕がELPと勘違いした理由なのかな?と思いますし、僕が最も好きな作品がコレ!というのもまた同様では?と推測しております。
ライナーノーツには「最新の16ビートを駆使するスティーブ・ガッド」(笑)という(正確な文ではありませんが)説明がありましたが、こういうところは時代を感じさせるところです。またシンセサウンドもまた同じく。
しかし、作品としてその内容をみたとき、この珠玉の楽曲達は今現在でも生き続けることが出来ると思いますし、新しい音楽を渇望している音楽ファンにも是非触れていただきたいと願うものです。
表層的な部分だけではなく、そのあらゆる要素、作品に寄り添う緻密なリズム隊と、魅力的なハーモニーと旋律。
そして全体を一塊で眺めたときのアルバム「妖精」というイメージ。それは、チックコリアの他作品では見受けられない確固たるものを感じます。
ジャズは、メンバーを解き放つものです。本作はチックコリアの作品のために演奏しております。それはクラシック・現代音楽のようでもあり、ジャズと呼ぶには少し違うところも感じられますが、しかしジャンルというものに縛られない自由な発想は音楽家であれば必須のものかも知れません。
ただ、難点をひとつだけあげれば、コンセプトがあまりにハッキリしているので、聴く側のイメージが限定されるという部分があるかも知れない。
(しかしこのイメージが限定された音楽を好む方も多いのです。それは結局、音楽の好みということになります。)
これもまた僕の天の邪鬼なところなのかも知れないのだけれど「演奏音楽」はどこか抽象的で、そしてどこかに浮遊感のようなところがあってボンヤリしている方が自分なりのイメージを感じ得るということです。
僕が「妖精」で好きなところは、そういうことなので作曲家・チックコリアの凄さを認めつつも、そのベースとピアノの紡ぐサウンド自体にあるということになります。