ピアニスト・タカの脱線CD評

筆者はFLAT1-22・天然キーボード奏者の脱線転覆の珍説が脈絡なく展開!

モーツァルト後期交響曲集/カールベーム+BPO

ベームの演奏が当り前になっていた。

これはモーツァルトに関して、ということです。僕はもしかするとモーツァルトの交響曲に関してはベームで上がり!という気がしないでもない。先ほど久しぶりに聴くと以前聴いた時よりもその安心感というのか、腑に落ちる感じが強くなっている。
その理由はおそらくベームだけが持ち得るモーツァルトのテンポ解釈から来るのではないかと思う。
本アルバムは後期の人気交響曲(個人的にはこの中では36番「リンツ」が好きですが。)/カール・ベーム+ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団という鉄壁の組合せで演奏・収録した名盤です。
他のマエストロの演奏、例えば名盤と推すファンの多いレナード・バーンスタイン、ヘルベルト・フォン・カラヤンの同じ作品では、興味深い程にテンポが早く、自分にとっては拙速に聴こえる。もしかするとベームを「それほど」と感じない方は、そのテンポがノンビリしていてイライラしてしまうのかも知れない。しかし、僕はそのようには感じない。このモーツァルトの精密機械の如く一切の無駄を排したアレンジ力、迷いを感じさせない繊細なラインの描き方をオーケストラで表現するにおいて、これほどピッタリなテンポ感があるだろうか?と思う。例え実際の速度において明らかに遅くても音楽としてノンビリしているわけではない。その緊張感と密度を維持したまま、ここまでコントロールし深化させるマエストロの意志の強さに打たれる思いです。
記憶を辿ると、僕がベームという指揮者を知ったのは来日公演の収録をNHKで見た時からだった。演奏したのはベートーベン・交響曲7番だったが、それですっかり気に入ってしまった。「運命」も聴いたが、どちらにしてもそのテンポは聴き慣れたカラヤンからは大分地味で鈍く感じたものだったが、それが反って新鮮だったのだ。当時中学生だった僕にとって派手で、速いテンポで行うことだけが結果を生むとは限らないのだな、、ということが朧げながら理解出来たのでした。
ベームはこの時、インタビューで「大切にしていることは何か?」ということに対して実にシンプルに「合奏すること」と応えたのでしたが、これは僕の心に響きました。その言葉の裏側にとてつもなく深い意味合いが含まれており、この大指揮者の中心線にあるもの、その確信に共感するものです。
モーツァルトは、クラシックから現代音楽の長い歴史の中でも、その確立された個性、音の構成においてバッハと共に頂点に在る作曲家だと思う。その流麗で緻密なところを最大限押出して行くのが指揮者とオケの仕事になるわけですが、同じウィーンフィル、ベルリンフィルを振っても他の指揮者ではこんな感じにはならない。CDコメント欄で「重心が低い」と書いた音楽ファンおられましたが、全くその通りだと思います。余談となりますが、リハーサル中「アクセントがどこにも書かれていないのに勝手にアクセントを付けるのはどうしてだ?」と厳しく突っ込みを入れていたのが、ベームもカラヤンも一緒でした。カラヤンはネチネチと、、ベームは癇癪を起こしたように、、(笑)態度は違ってもマエストロは同じポイントに耳が行くようです。
モーツァルト交響曲の「とっかかり」にも本アルバムはオススメですが、最初から「上がり」となる可能性もありますので、最初は前述のカラヤン、バーンスタイン辺りを聴いてから、ベームを聴くと自分のテンポに対する好みが掴めるかも知れません。またDVDやYoutubeで動画を見るのも面白いです。その指揮者の「棒さばき」が全く違うので楽しいです。例えば小沢征爾さんやカラヤン、バースタインは派手で体裁が良く指揮者がエンターティナーの側面があるのだ!ということを教えてくれます。しかし対して、本ページの主役・ベームは特に晩年となると棒の動きが極端に小さく、震えているのか振っているのかさっぱり分からない(笑)でも、そこが実に渋く味わいがあると思うのです。皆様もどうぞ、指揮者をチェックしてみてください。個性派揃いで楽しいですよ!!