ピアニスト・タカの脱線CD評

筆者はFLAT1-22・天然キーボード奏者の脱線転覆の珍説が脈絡なく展開!

メシアン/世の終わりのための四重奏曲

もはや現代音楽の古典。意外にプログレなところもある?

この作品に関しては前々から書かなくては、、と思っておりましたが何やら難しく感じてしまい逡巡しておりました。
しかし、気軽なスタンスのこのサイト。本作を囲むマニアな音楽ファンを気にする事なくまいりたいと思います。
僕が、この作品のことを述べたい理由。
それは至極単純なことです。
この作品を深く敬愛しているからです。
本作を宗教音楽の観点から聴くと、一気に事が難しくなってしまう、、とコメント欄にありましたが「ヨハネの黙示録10章」に沿った形で作曲されていると作家本人が述べている以上(コレと言って強い宗教観を持たない一般的な日本人からすると)理解が難しい面があるのかも知れない。また音楽ファンによっては「世の終わり、、」と言っておりながら随分脳天気なところがあり、国が変ればこれほどに死生観が違うの?と皮肉まじりにおっしゃる方もおります。僕は、本作を最初に聴いたのは随分昔のことになりますが、そんなことまで考える余裕はありませんでした。恥ずかしながら、、この音楽を理解することが出来なかった。この音楽がひょっとしたら凄く魅力的で面白いのでは?と思ったのは、ジャズの理論を一通りやってしばらく後になります。音楽ファンの中には、素直に気軽にメシアンクセナキスを楽しめる方がおります。僕はそういう方達にはとても叶わないし、聴き手の偉大さに気付くわけです。僕なんて天の邪鬼の上に、恐ろしく不器用だから音と音との宇宙的な組合せに泥んこ状態になっていた状況からようやく楽しくなって来たのです。メシアンの音楽全体に言えることですが、その造作は数理的であり、緻密なシステムを構築しているところに特長があります。自分の表現に足る要素を徹底的に追い込んだ結果として、この作風があると思います。勿論、他の偉大な作曲家はそういった部分があります。クラシック音楽の中心として誰もが知るベートーベンはその代表格でしょう。それからするとメシアンは現代音楽の古典と言えるかも知れない。そして、僕個人のメシアンに対するアプローチ、その学究的なところ、方法論的なところは一切無視です。メシアンの音を聴くと、そういった雑音(失礼!)が邪魔で仕方がない。この音楽には正々堂々と自分の耳で純粋な気持ちで対峙したい。音楽理論のドロドロ状態など、このさい即行で封印と。
さて、全体8作品を通して聴くと、まずはピアノの造り上げるサウンドが浮世離れしたような世界を展開させていることが掴み取れる。そして全体のサウンドを決めているのがクラリネットという気がして来る。これは聴く人によって違って来ると思います。僕はこの作品によってこのクラリネットという楽器の魅力と可能性に取りつかれてしまいました。
今も周囲の演奏家の中ではクラリネット奏者を贔屓するところがあり、それは本作が理由です。僕は音楽の好き嫌いも、そして聴かれ方も自由であり、そこにルールなど在ってはならない、、みたいなことを事ある度に書いて来ました。しかし、本作を魅力が無いとか、メシアンの作品群においては駄作、と言い切る音楽ファンには申し訳ないけれど、納得が行かない気がします。若い頃の僕のように、こういう現代音楽の免疫がなくて面食らってしまった!というのなら分かるのですが、、。しかし、本作は現代音楽のあまりに専門的かつ独善的な作業の弊害とも言えるタイプとは一線を画していると断言出来ます。そのハーモニーと旋律は、メシアンを小難しい学問の神輿の上に乗せちゃっている近視眼的な帯域とは次元の異なるイメージ世界を展開しております。
それにしても、この作品のカラフルなことには呆れる。カラフルなだけではなく何と言うのか独特の湿度感や室内で聴いているのに微風を感じているような錯覚に捕われる。8曲目に配置される、独特な遅いテンポ感を持つ作品(エスの不滅性への賛歌)が最も好きな作品です。これを聴くと「とても大切な人が次第に遠のいて行く、、そして何時か消え去るその一瞬、こちらをチラリと振り向くのです。」何故なのかそういう絵柄を想像してしまします。本作を構成する楽器は、ピアノ、バイオリン、チェロ、クラリネットとなります。近現代になって来ますと、演奏のキャラよりも作品で聴くという形になる場合がとても多い。ラヴェルしかりドビュッシーしかりと。しかし、この四重奏曲は演奏家によって随分イメージが変って来る。チョン・ミュンフン(ピアノ)のものがグラモフォンから出ており、これを強く推すファンもおります。僕はこのゆっくり目で演奏したアルバムも決して悪くないと思います。が、やはり本作を演奏するためにピーター・ゼルキンが結成した「タッシ」のバージョンが多少ベタではありますが、今のところ打ち止めであります。そのテンポ感、勿体付けない凛とした清涼感が好きです。実際メシアンの演奏指導もあったと聞いておりますが、(特にこういった作品において)作曲家の意図が音の中に入っているのは素晴らしいことだと思います。最後に、ご存知の方も多いかと思いますが、本作はメシアンが仏兵として捕虜になったゲルリッツ捕虜収容所内にて作曲されました。初演もその所内に於いて、という特殊な環境下に於いてでした。この作品が、メシアンが捧げた祈りや、幸福であること、平和への希求が、この作品に根底に在るのだと(僕個人が勝手に)信じております。僕の実家は祖母が熱心な法華さんでしたが、僕はコレといった宗教は持たないのです。その代わり、音楽の神様がいるので大丈夫なのです。その神様というのが、ベートーベンとメシアン。人間臭い神様と、人間離れした二人の神様というわけです。