ピアニスト・タカの脱線CD評

筆者はFLAT1-22・天然キーボード奏者の脱線転覆の珍説が脈絡なく展開!

今、一番好きなギタリスト・Ben Monder

音使いを聴くと無意識に頷いてしまう。

また「Ben Monderかよ?」と叱られそうである。今年自分の聴いたベストはヤコブ・ブロトリオの一連の作品と決めつけていた。おそらくあの狂ったような猛暑を迎える直前までは。しかし、このアメリカの高速アルベジョを特長とするギタリストは、まるでその昔レコード大賞を急速なぶっちぎりでもぎ取った「ちあきなおみ喝采」の如く、ECMの売れっ子ギタリストを涼し気に抜き去ったのである。勿論、それは僕の心の中の世界であり、それが逆の音楽ファンもいらっしゃるだろうし、またこの辺りのギター作品に感心を持たないジャズファンも多いことだろう。確かに、この音楽はジャズという頑で、ある集合体においては形骸化している(そこが良いというのも分からないではないけれど。)場所からは意外なほど遠い位置に佇む音楽だと思う。前回、このサイトで評を書かせていただいたポール・モチアンのドラムが光る名盤「Amorphae」も例外ではなかったが、Ben Monderの音楽はジャズの括りだけでは少し苦しい。プログレみたいなところもあるし、サウンド自体がとても重い役割を果たしているところがあると思う。その点では、ヤコブ・ブロなんかも共通しているけれど。
ただ、僕が驚くのは本作「Excavation」のその音の構築、ハーモニーの内容である。それは、例えばバークリーで高次元な理論に基づくテクニックを収めたとしても、とても行き着けないような、ある種の異次元を感じさせる。大切なのは、その彼の使う音楽の言葉達が、しっかりとイメージ表現に結びついていること。
繊細極まりないライン、構成は、実に美しく微妙なものだ。これを聴くと、現代音楽の寵児と呼ばれた「リゲティ」を思い起こす。
この偉大な作曲家(という言い方をリゲティは好まないだろうけれど、、笑)のピアノエチュードに「虹」という信じられないほど素敵な作品が在る。読者の皆様には是非、機会があったら聴いて欲しいのだけれど、その世界と本作の音楽にどこか共通した部分があり、それがとても興味深い。

本アルバムの特長は、ヴォイスのテオ・ブレックマンが参加していることだ。ジャズ・フュージョンの世界において、ヴォイスをゲスト参加させることは決して珍しくない。チック・コリアパット・メセニー然りと。アレンジの方向性としては、やはり同じギタリストと言うこともあるのか、メセニーグループと近似するところがあるように思う。しかし何度か聴くうちに、その表現したいイメージというか、空気感とでもいうのか、かなり違っていることが分かって来る。パット・メセニーの音楽が明らかにポップで分かりやすく万人受けする方向だろうけれど、本作は陰影に富み美しさではこちらに軍配が上がる。Ben Monderは、他ギタリストの誰とも違う。ギタリスト達の技術指向、テクスチャーの形成は、皆共通したところがあるように思うけれど。おそらく、ずっと作曲指向なのであり、調度長きクラシックの歴史において、飛び抜けて異質な存在であるバルトークみたないところがあるようにも感じる。
自分の表現したい世界に対して、どういった音を使うのか、どのようなサウンドを考えるのか、、という音楽要素に対して、極めてストイックに追求する姿勢が垣間見える。前回の評ではどちらかというとサウンド主体に、本作では音そのものの使い回しによって、というように思考のベクトルは変化するが、その根底に横たわるのは飽くなき表現への渇望なのだろうと想像される。その、凛とした佇まいに心打たれる。音楽が産業化し、聴き手も演奏家も一様に横並びで"大量消費主義"へ媚びていることへのデカイ一石とでも言うのか。聴いて、不思議なほど心が浄化される気がします。