ピアニスト・タカの脱線CD評

筆者はFLAT1-22・天然キーボード奏者の脱線転覆の珍説が脈絡なく展開!

音の"渦"「烏頭」TRIALOGUE


爆音系?違うでしょう!一線隔てている、、。

先頃、僕のバンドと対バン(共演)したばかりです。
久しぶりに聴いた"生・烏頭"ですが1、2年前より格段に音が整理され「研ぎ澄まされた」印象を受けました。
本作はライブで演奏された作品と、部分紐づく内容となります。が、収録は更に音がタイトで聴きやすい内容になっています。
この音楽が聴きやすい(耳当たりが良い)、、というのはバンド音楽にとって大切な要素となります。「合奏」の例として、アメリカを代表するオーケストラのひとつ「クリーヴランド管弦楽団」は恰もバイオリニスト一人が演奏しているかのような音である、、と評されます。それを、まるでレントゲンで音を見ているようだ!と否定的に捉える頑迷なクラシックファンも少なくないのですが、ジョージ・セルが黎明期より鍛え上げた、合奏する力がこうした透明感を生んでいると言えそうです。
烏頭をリハ時、僕は上記内容を思い浮かべておりました。リズムが整うと、その分キレイに隙間が空くことになります。それは、1次元のバーコード"白黒の世界"にも似て、音楽を明快なものに仕上げます(因にQRコードは2次元、本評の表現には使えない)。このユニットほどの轟音、壁にも感じさせる音数の多い世界であっても、しっかりと隙間の存在があります。

本アルバムはミニアルバムとなります。3作品の構成となりますが、それでもなかなかの充実ぶり、聴き応えがあります。また、改めてピアノ・大和田さんの作品力と、信じられないほどのピアノの出音に羽交い締めにされてしまいました。聴き手の殆どは、まずこのピアノの信じられない音に「やられる!」のだと思います。このバンドはアルバムが気に入ったのなら、ライブに行くべきです。ライブの烏頭は、何と言うのか一種恍惚とした世界が展開されます。信じられないほどの音数の隙間から、強烈なイメージの光が瞬いているような気がします。これを単に爆音系とは言わないでいただきたい。素直に聴けば、その旋律とハーモニー、演奏キャラに押し倒されるしかない、ということになります。
そういう音楽に徹底的に押し倒されたいという、ド"M"な人間にはピッタリでしょう。収録の3曲は、どれかが突出している、、というのはなく、、結局「3曲」が突出していると。近似しているバンドとしては、かつて僕が周囲に存在するバンドの中、最も尊敬した「る*しろう」があげられます。(但し、僕が好きな「る*しろう」は1stアルバムの頃に偏るわけですが。)違いは、烏頭の方が、重く暗い質感で、民族音楽のようなセンスが感じられる。また音の組み立てに、既存のモードやコードプログレッションを基軸とした僕のようなタイプとは異なり、もっとピュアな深いところから、研鑽と音への思索への積み重ねから表出したラインに(個人的には)感じられる。ライブでは僕の再生させたばかりのFLAT1-22など簡単に捻られてしまいました。しかし、烏頭というバンドがこの世に在って良かったな、、とヤケに感心しつつ何時もの有楽町線で小雨の中、成増山へと帰宅の途についたというわけです。《この評は加筆修正しております:2019.04.07》