ピアニスト・タカの脱線CD評

筆者はFLAT1-22・天然キーボード奏者の脱線転覆の珍説が脈絡なく展開!

聴くと胸がいっぱいになる / 荒井由美・MISSLIM

Y子の仕業だったと数十年経過して気付く愚かさ。

放課後、一番前の席に座る僕の目は黒板の左下に小さく白いチョークで書かれた「ベルベットイースター」という文字を追っている。何それ?何かのタイトル?

恥ずかしそうに消え入りそうなその字体は今も心に刻まれている。最近、夕暮れのウォーキング時、沸き上がるように気が付いたのだった。その訴えかけるような落書きはY子だったのかと。英語で分からないところを聞きに来る(バカがバカに聞くので解決しません。)ユーミンをエレクトーンにアレンジしたいという相談まで、何しろうるさく付きまとっていたY子は、当時鬱陶しい存在だった。ずっと時を経て卒業アルバムを眺めて、こちらを見つめて微笑む彼女がとてもキレイな女性だったことに気付いたのだがもう遠い世界のこと。デートの一回くらい誘えば良かった。きっと「勘違いしないで!!」って言われたに違いない(笑)
その「ベルベットイースター」は荒井由美ひこうき雲」に収録されている。つまり本作ミスリムには入っておりませんのでご注意ください。

この時代、ピンクフロイドやキングクリムゾン、そして新しくイエスを聴いていた矢先の高校三年生の自分。受験などどこ吹く風。自分の将来のことなど何も考えなかった時代だ。気にするのはバンドが下手なこと。「恥ずかしいから止めて!!」と妹に言われて、こちらこそ恥ずかしい気持ちでいっぱいだったこと。それだけが胡桃大の脳のほぼ全てを多い尽くしていたのだが、年寄りになった今もさほど変ったとは思えない。

三無主義の時代と言われた僕らの時代だ。三無とは何か?

こんな年寄りになってようやく調べた。無気力無責任無関心を言っていたらしい。これに無感動を加え四無主義とも言う。

世相はこういう言葉を捻り出すが、実際の若者がこれに当て嵌まるかどうかは別の話である。このように見える当時の頑迷な年寄や猛烈と言われた企業戦士から相対的に眺めてそのように感じた(見えた)だけだと思われる。

実際のその三無主義と言われた僕らは、なかなかに熱を帯びていたはずだ。

"しらけ"の世代と言われたのは、ポーズ、見せかけであり、その実際は野暮ったくて、やる気満々の照れ隠しというのが本当のところで、その捻くれ具合と天の邪鬼は現代からすれば微笑ましく「ピュアな時代」と言い換えても良いとさえ思える。

さて、本作の脱線具合は凄過ぎるか(笑)この「ベルベットイースター」のことを誰ともなく聞出して、それが荒井由美の曲であると知るのは確か一週間後くらいだっただろうか。夕暮れ時ラジオから聞こえて来たのは確か「十二月の雨」だったと思う。

「うわっ、、変な声!!」(大変失礼)というのが第一印象だった。しかし、どうしてもアルバムを買ってその音楽を身近なものとしてみたかった。魅力が自分の頑迷な心に打ち勝ったのだ。

当時、レコードを買うのは釜石市の青葉通りの四つ角近くに在った「レコードユキ」だった。少し可愛らしいお姉さんがレジに立っているのだが、いつもすこし機嫌が悪そうなのが特長だ(笑)。「ミスリム」を手にしたとき、まずジャケが気に入ったことを覚えている。ただ随分老けたおばさんだな、、というのが第一印象で、この感じ方は実は今も変らない。このジャケのユーミンは妙齢のご婦人みたいである。またそこがとても良いのであるけれど、そういうところに気が付くのはもっと後年である。このように最初のユーミンは必ずしも好印象というのではなかった。声質も、そのお姿も、、高校生の青い僕には理解出来なかったのである。

しかし、とにかくその黒板のベルベットイースターが僕にまるで「音楽のお札」のように強い念動力でレコードに針を落とさせるのである。毎日、帰宅するとこのミスリムを聴いていたと思う。前述した通り、実際この「ベルベットイースター」は1stアルバムである「ひこうき雲」に収録されており、ミスリムには入っていない。そこはおそらくガッカリしたに違いないが、何の事はない。後にこちらも買うことになるのである。本作は「ひこうき雲」と比較すると、更に洗練されている。それは旋律の描くライン、それからバックのティンパンアレーの御大達、またヴォーカルとしてのユーミン、全てが、、である。

作品として優劣を付けるのはこの2枚では行いたくないしあまり意味がないと思うけれど。そして極めつきのソングというのであれば、「海を見ていた午後」と「私のフランソワーズ」ではないかと個人的見解ながら思う。

バックの演奏が秀逸であることは折りにふれて言われることだが、その中でも特にギターの鈴木茂の奉仕度数?がひじょうに高い。あのポヨーンという柔らかなマシュマロみたいな音(その割にはアタックの強い独特なエンベロープの線となる)、ソロで聴かれるヴォーカルに負けない、それでいて変に主張し過ぎない、しかいよく聴くとはやり主張している(笑)その匙加減、作品が彼にそう弾かせたのか、彼がそういう才能なのか、、それは僕も分からないが。何しろこのギターあっての、という感じはする。

ミスリムは、作品・アレンジ・演奏・歌・レコーディングの質感、そういったアルバムに関係する要素全てが理想に近い形で結実した傑作と言える。

聴いていると、繊細な少女漫画(それは例えば大島弓子のような、、、オヤヂの僕が言うのも大変気持悪いが!!)と記録映画が混在したようなある種の浮遊感を持った世界に誘われる。

感動をもたらす音楽は、自分をイメージの旅に連れ出す乗り物のようなものだ。
本作を聴いていると時間が止まり、忘れていた過去にワープしているような感覚となる。それは感傷的なところもあるが、しかしその温度感は決して冷たいものではなく、温かな微風のようでもある。風は世界を巡っている。過去、自分に触れた風は遠い時間を経て自分に出会うことが希にある。そんなとき、人は忘れていた過去を条件反射的に思い出す。ミスリムを聴くとそんなことを考る。

ミスリムは自分にとって、ビートルズと同じくとてつもなく大切な作品です。

滅多に聴くことはないですが、それでも何時でも心の隅に根を下ろしている感覚があります。本作がこの世に在って良かったと思います。

〈加筆・修正 2017.11.5〉