ピアニスト・タカの脱線CD評

筆者はFLAT1-22・天然キーボード奏者の脱線転覆の珍説が脈絡なく展開!

Ben monder / 評は何度も聴いてから、、!

Ben Monderはアメリカ合衆国のギタリストです。

現在(2017.12.28)最も聴く事の多いアルバムです。何度聴いても飽きないスルメみたいな作品と言えましょう。そして、この音楽は少し聴いて何となく評を書くというのは駄目ですね。数ヶ月聴いた今、自分の中でようやく着地した感があるわけです。最初はヤコブ・ブロに似ている、、などととんでもないウソ?を書いてしまいました。サウンドも、作られている音楽も違うものです。似て非なるものではなくて、最初から違っております。ただ、音価を長く取り、空間的というか浮遊感の強いところは共通しているので、最初に受けるイメージとして、どうしても比較にあがってしまったのだと思います。
好感が持てるのは、そのシンセが黒子に徹して変に電子的なイメージを出していないところ。MIDIという規格がある。MIDIが出て来てからシンセをはじめとする機材のセッティングは大きく変わった。(MIDIは機材を接続する規格です。簡単に言えば、シンセを2台MIDIケーブルで接続すると片方を弾くと受け手側のシンセも同様に演奏される、ということになります。これはシンセだけには限りません。あらゆる機材にMIDI端子は用意されております。)

しかし、このMIDIの匂いがするものを僕はあまり好まない。電気的というのは大いに興味を持つ、しかし電子的というのはあまり好まない。これは勝手な言葉のイメージだと思うのですが、電気的という方がノイジーであり、どこかに空気の入る余地がありまた立体性を感じるわけです。
如何にも国産メーカのプリセットをそのまま使いましたというような質感、それは耳障りで必要のない音の厚みであることがとても多い。
本作では、それが抑えられてシンセの押し付けがましさがなく、かつ存在の必然性が感じられます。
流石にECMの出す作品はひと味違うところではあるかと。
2曲目となると、本性が出て来る。
このギタリストのサウンドアプローチ、作品力は他にはない確立されたところがあり、聴いて納得させられます。
演奏においては、ドラムのポール・モチアンがやはり素晴らしい。
最近、僕のイチオシであるジョーイ・バロンとよく似ているが(というかジョーイが影響を受けているのか。頭もスキンヘッドだし、、笑)若干、ジョーイの方が猛々しくタイトで切れ込みが鋭い。しかし、本作において御大の演奏はとても自然で流麗であり、時折「ハッ!」とするような素晴らしいリズムセンスが光っている。その音の出し入れ、無音から次第にクレッシェンドして行く場合などに品格があり、それだけで本作のインパクトが増して来る。他のドラマーと例え同じリズムアプローチをしたとしても、その抑揚の付け方、音楽に対する寄り添い方で、全く異なる世界を感じさせる。
シンセが入っている分、音の壁は厚く、密度の濃さを感じるが、さりとて聴き難いわけではなくサウンドの組立に慎重で緻密なギタリストであることを伺わせる。
ギタリストというのは大体が深く論理的に考えるタイプが多いのだけれど、おそらくは同じ集合体であろうと思います。
音楽内容は、正にイメージ表現の世界であり、散歩に同行させるとハマりそうです
ECMの音楽は総じて夕暮れの散歩にハマるわけですけれど。これまた例外なく。
少しだけ言わせてもらえば、もう少し音価を短くとったフレーズを前面に出して欲しかったという気がします。サウンドアプローチに主眼を置き、大きな幅を持たせたかったところは理解出来るのですが、散見される魅力的なラインを聴くと少し惜しいです。
もしかしたら、その出し惜しみの加減もまた計算の内なのかも知れません。
もう少しシンプルな(例えば、ギタートリオのような)編成のアルバムも聴いてみたいと思います。この評は加筆、修正は2度目となりますが、流石にこのギタリストが浮遊感だけで勝負しているわけではないことが分かって来る。そのコードプログレッションと、選ばれる音は素晴らしい品格を兼ね備えており、こういうギタリストはテクニックばかりに頭が行っている国産ギタリストではとても及ばない。長く聴けるアルバムというのは古今東西、実はそう多くは存在しない。その点クラシック作品というのは、やはり作品力では次元の違うところがあるのかも知れない。しかしこの本作は聴く度に発見があり、何やら宝物探しのような風体でもある。やたらと音響方向に音が行っているので、つかみ所がないけれど、音楽としては唯一無二、他にこういった作品は見当たらないという気がする。ベースを排したところから生まれる可能性は僕もベースレストリオを長くやった経験があるので、自分なりではあるが理解しているつもり。現代的かつイメージを前面に押出して行く音楽を標榜する場合、場合に寄ってはベースは邪魔な存在となる(というのも失礼な言い方だけれど)。逆に言えばベースはそれだけ音楽において重要なポジションに在ると言える。これを排するのは音楽の要素を一度ニュートラルに返して、白紙の状態に音を置いて行くことになる。
本作を聴いていると、その凛とした佇まいに、作り手のストイックな感性を垣間みる事が出来る。まだまだ聴いて行くことになりそうです。自分の中においては間違いなく名盤でしょう! 〈加筆・修正 2017.12.28〉