ピアニスト・タカの脱線CD評

筆者はFLAT1-22・天然キーボード奏者の脱線転覆の珍説が脈絡なく展開!

吉田美奈子/長く身近にある「声」

ヴォーカルアルバムでは珍しいイメージの押し出し

吉田美奈子は愛とか恋だけではない、イメージを歌える演奏家に近いヴォーカリストだと思う。
僕は「ヴォーカリストで誰かイイ人いない?」と聞かれたら迷わず吉田美奈子と反射的に応えると思う。これまでの人生、最も暗かった音大時代、クラシック音楽をやっていくことに反発していた頃に聴いたのが本作となる。陽のあたらない四畳半にアップライトピアノを押し込んで、小さなテーブルひとつの部屋。当時の僕にとってこれは別世界に連れて行ってくれる温かな光のようなものでした。
さて本題に入って行きましょうか。
作品力、バックを固めるアーティスト達もまた素晴らしいけれど、何と言っても吉田美奈子の場合は「声」が中心線に在る。日野皓正がどんなに気の利いた(それはもう素晴らしいソロですが)ラッパを吹いても彼女の声は微動だにしない。高域の透明感、低域の官能的な具合は一度ハマってしまうとなかなか抜け出すのが難しい。どこまでも延びて行くような錯覚を憶えるような人間離れしたヴォイスはライブで聴くともう少し暖かみを感じさせるものだった。本作はスタジオ録音では5作目ということになるらしい。前作とは方向性をガラリと変えている。バックに配されているのはジャズ・フュージョン分野の誰でも知っているアーティスト達であり、特にリズム隊の村上ポンタ秀一高水健司が良いアプローチをしている印象。ポンタさんは先ごろお亡くなりになったが、このアルバムを聴くと他では聴けない独特なリズムセンス。聴いてそれとすぐわかるアーティキュレーションが若々しく、この頃バイトしていたヤマハの特設ステージで聴いた(見た)ドラミングと繋がってくる。本アルバムは最初聴いた時から、その音質に違和感がありました。響きがデッドでまるでどこか学校の教室でテレコで録ったようなイメージ。平たく言うとエコー感がないというのか。

それは後々調べて分かりましたが、これは一発録音なのです。しかも驚きなのがヴォーカルも同時に収録されているらしい。
なるほど、一発で録る場合(つまり時間を置いてオーバーダビングを行わない。スタジオライブ状態である、ということ。)の他楽器の被りを排して臨場感を前面に出そうとすれば、このようになるか!というところです。これは演奏が頑張らないと形にならないのだけれど、そこはそれ手練ミュージシャンの集合体ですから逆手にとって、とても魅力的な音楽に仕上がっております。演奏の息づかいが届くような、素晴らしい録音アイデアですが、こうしたレコーディングの持つ方向性は吉田美奈子の音楽性にとって重大な影響があるはずです。個人的には本作が彼女のアルバム中、最も本来的というのか根っこの部分に寄り添った制作だったのでは?と思います。彼女は曲を作る時点で全体イメージが固まっており、アレンジやスタジオ作業においてその「孤独から見えたの世界」を変えられたくない!という気持ちが強いのではないかと推測されます。そういったことから本アルバムは、妥協点を限りなく削りとった吉田美奈子そのものである、と言ってもイイと思う。ちょっと大袈裟だけれど、、笑
荒井由美も、大貫妙子浅川マキも最初に聴いた時、その違和感は絶大でありました。そしてまたこの吉田美奈子の違和感もまた負けておりませんでしが、自分が長く聴くことになるヴォーカルの声というのは仕切り線がとても高く、そのユートピアは乗り越えた先にあるわけです。僕はどちらかというゴスペルとかソウルに傾いていった時代より、それ以前のジャンルのハッキリしない本作が好きです。ここに吉田美奈子の起点、中心が在るというのか。きっと、それは僕の勝手な「そうであって欲しい」という願望が書かせているのかも知れませんけれど。最後にこのアルバムで特に好きな作品は、何と言ってもタイトルの「トワイライト・ゾーン」、そして「恋は流れ星」です。余談ながら「恋の流れ星」のポンタの演奏は、スピード感がとても良く、こうした歌のバックであっても分かりやすい形で表出しております。随分と抑えた演奏ですが、それでもフィルインでクレッシェンドするようなところに彼らしい音楽性、歌っている感じがあって、こういうドラマーはもう出てこないかも知れない、とシンミリしてしまいます。このように本アルバムは演奏も楽しめますので、楽器をやられている方も是非!
〈加筆修正:2021.04.28〉