ピアニスト・タカの脱線CD評

筆者はFLAT1-22・天然キーボード奏者の脱線転覆の珍説が脈絡なく展開!

変拍子の湿布薬/PHRONESIS・WE ARE ALl

このアルバムで誰もが演奏力の重要性を再確認させられる?

ザッパからマッツ&モルガンと変拍子に狂って、その後飽和してしまった人々。もはや変拍子が4拍子に聴こえてしまい、どうにもつまらない。この変拍子欠乏症はなかなか特効薬がない。しかし、ご安心ください!ペタンと付ける気持ちのイイ湿布薬がリリース?されました。今回のCD評は珍しくピアノトリオを取り上げます。実は、この半年ほど、脳裏に燻る音楽の大半はこのバンドに埋められておりました。その前はベン・モンダーだったし、更にその前はヤコブ・ブロという、つまり二人ともギタリスト。自分の中心にあるべきピアノからは離れたところで聴き手としてのスタンスは進んでいたわけです。ピアノは聴かないではなかったけれど、泥沼のように入れ込むというものではなく、例えばピアノトリオの潮流の中心辺りに位置し未だ人気の高いESTであっても、その中の数曲に限られるものでした。流石に本業のピアノとなると自分の気難しさ、理想の幅の狭さを知るのですね。そんなところに重く硬度の高い巨石がドーンと投げつけられたのがコレです。
僕の小さな湖はそれ以来、このPHRONESISの畝裏が続いている。ピアノトリオでここまで虜になったのは自分の音楽人生においてあまり記憶が無い!と断言出来る世界が展開されています。
その特長は何しろ変拍子を中心とする凄まじいリズムの嵐、というところでしょうか。ピアノトリオというコンパクトな音楽構成を感じさせないスケールの大きさ、また変則的なリズムを採用しながらも、音楽は絶えず陰影に富み、強いイメージを聴き手に届けます。それは、豪速球で直球勝負、音数の多さは類を見ない正に音符単価の高い(某・和プログレユニット・バイオリンさんの名言を拝借すれば)演奏が繰り広げられています。一応CD評なのでチクリと一言あげるとすれば、このあまりに圧倒的な演奏がお疲れの身体にはキツイかな?という場合もありで、本アルバムにも1曲、レギュラーな4拍子か3拍子の平坦な作品を入れたら完璧だったように思う。それにより、他の作品も際立ち、またその平坦な作品も逆に存在感を増したのではないかと思うのです。そこはやはり若い彼らの勢いというところなのでしょう。ぶっきらぼうに、やりたい事だけを押し通して「はいオシマイ!!」とこの贅肉を削ぎ落とした6作品であっさりと幕を閉じるのです。この6曲は自分にとって程よい音楽容量であり、会社帰りにウォーキング兼ねて一駅前から歩き始めると住まいの成増山(山でもないのに勝手に命名)が見え始める頃には気持ちの良い身体の暖まり方と共に6曲目が鳴っていることになります。三人共にキャラの立った演奏家ですが、聴いて行くとWbのジャズパー・ホイビーがこのバンドのリーダーであり中心人物であることが何となく理解出来ます。ベースのバランスが他のピアノトリオよりずっと大きい。また、エッジが利き方が独特で、その灰汁の強さから好き嫌いは出て来そうな気もしますが、個人的には何を弾いているのか分からないWbソロが多い中にあって際立つ存在であり、迷わず支持したいと思います。ライブのMCでも意外に多弁で明るいです。こうした技術指向なユニットにありがちな、根クラなタイプではないようです。ピアノは驚くべきテクニックです。このピアノの演奏力、展開していく世界は、これまでのジャズ・フュージョンの鍵盤の殆どを過去に追いやるような恐るべき素養を感じさせます。クラシック音楽一般から現代音楽、そしてジャズを自分の前に等しく並べて、適所に異なる技術を用いて弾き切る姿は憧れすら憶えます。これは間違いなくクラシックピアニストとしても通用したレベルでしょう。また、クラシック音楽をさらい切っている印象を受けます。その下地においてジャズを新機軸の理論体形において収めて、自分のイメージ表現において扱うというのは、昨今の「嫌になるほど弾けてしまう若手鍵盤奏者」の潮流とも言えるものですが、しかし、このアイヴォ・ニームは番外、群を抜いている。ドラムも他二人と変りません。楽器が異なるだけで、その音楽へのスタンスは深いところで共鳴しているように思えます。若干ドラムのサウンドが埃っぽい、屈(くぐ)もったところがあるように聴こえるのですが、これは、ピアノやベースを描き出すために行き着いたチューニングなのでしょうか?何しろ、この演奏もまた新型のタイコであり、昨年、一昨年に聴いていたドラマーと言えば、例えばジョジョ・メイヤーとか、ヴァージル・ドナティー、そして直近でジョーイ・バロン、ブライアン・ブレイドでしたが、それは別なキャラでしょ。「コレはコレ、ソレはソレ」と言えるものの、ドラマーは作品においてアプローチし真価を発揮する楽器というところから"PHRONESISドラマー"はその存在を他と比較出来ないポイントに佇んでいるように思います。ライブにおいてはこのドラマー、アントン・イーガーの存在が圧倒的であり、皆様お気づきのように、そのバンドが如何に客を押し倒すのか?はドラマーにかかっているわけです。ライブの出来はドラマーが鍵を握っていると言い切っても良い。その点、このピアノトリオはドラマーに恵まれており、またドラマーも変則的ながらも極地的に美しい音楽にアプローチするという幸運に巡り会ったわけですね。僕も現在ピアノトリオをやっておりますが、この本作を聴くと彼らがともて身近に感じますし、それだけにとてつもない高く分厚い壁に見えます。そして自分達の立ち位置ということも考えさせられます。保証付(何の?保証期間は?、笑)き必聴!!です。