ピアニスト・タカの脱線CD評

筆者はFLAT1-22・天然キーボード奏者の脱線転覆の珍説が脈絡なく展開!

IVO NEAME「MOKSHA」

もう少し聴くってことか?例によって。

同業者?であるピアニストのリーダーアルバムというのは、(ピアニストとしては)随分と聴かない方だった。どちらかというと他楽器の方に興味が行ってしまうタイプは少ないながらも居られる!と確信を持っておりますが。僕もその種族ということになります。それでもこれまでにピアニストとして「コレですよねっ!!」というアルバムがなかったわけではありませんゾ。
意外に遠い時代に遡らなければならないけれど。
チックコリアの「妖精」あたりが、はっきりと記憶に残っております。NHK FMの朝の音楽番組(「朝のリズム」ってタイトルだったような気がするけれど、違うかな?)で聴いて「ELP」だと思ってしまったと。あまりに入り込んで学校(当時18歳でしたね、息子より若い自分です。)に遅刻してしまった程のものだった。「妖精」は今聴いても十分に魅力的。チックコリアの中では最もフュージョンプログレと言っても良いか?)に寄った頃の代表作だが、何かしら涼やかな温度感というか空気感がある。さて脱線の調子も絶好調だが、イーヴォ・二アムのアルバムである。この方は、ニュージャズの旗手「フロネシス」のピアニストであることは音楽ファンであればご存知かもしれない。自分にとって、この1年最多の試聴回数を誇る、途轍もないテクニックのピアノトリオだ。ただ、このバンドのリーダーは本作のイーヴォ・二アムではない。ベースのジャスパー・ホイビーであり、また音楽の方向性も彼が握っていることが、本作を聴くことで如実に理解出来る。
このあまりに優れたピアニストのリーダーアルバムは、それ程にフロネシスとは方向性を異にしている。
どちらもジャズ・フュージョンにカテゴライズされるのは当然のことながら、そのサウンドも、作品力も違う。
では、聴く側が望む音楽ということで言えばどうなのだろう?
フロネシスのような何かやり尽くしている感、とにかく行くところまで行っている感を本作に求めるのであればお門違いと思う。
本作は、もっと落ち着いたところで勝負しており、あれほどのヤンチャな音楽ではないように感じる。事前にYoutubeでこの音楽を何度か耳にして好きなタイプ音楽をやっていることは知っていたが、CDを手にして、ようやく手に入れたiPhone(しかも中古、、笑)に流し込んで何度か聴くと次第に評価に変化が現れる。このイーヴォのバンドのやりたい事、他のアルバムはもう少し違った雰囲気があるが、本作に関して言えばこれはもう「ヨーロッパ版・ステップス!」と言い切れる。特にサックスはマイケル・ブレッカーそのものであり、聴いたことのあるフレーズがそのまま、という場面もある。ただブレッカーほどのアウトした感じはなく、もっと音楽に優しく沿った形をとっているように思う。キーボードは殆ど生ピだけで通すフロネシスとは異なり、シンセの多用もあって、随分カラフルな印象を受ける。
本作をフロネシスを知らないで聴くと、評価が高まるという気がする。
現代版ステップスとして、楽しく聴ける作品という着地点というのか。
しかし、僕のように長く深くフロネシスを聴きまくった人には正直に言えば軟弱で物足りないところがある。
もっと尖ったところがあって、ドーンと押し倒して来るような音楽内容が欲しい。そして突き詰めて言うと、それは作品自体、アレンジ自体のことになるのだと思う。ピアノトリオで何の変化球も持たない、とにかく豪速球で押すフロネシスは、先鋭的に刻まれた彫刻のような冷徹な音楽性ながら、ハーモニーと旋律の織り成す世界は紛れもなくイメージ表現の世界であり、繊細な美しさを持っている。その美を形成するためにテクニックの全てを注ぎ込むところが真骨頂と言える。イーヴォの貢献度もまた半端ではない。
しかし、コレが自作となるとフロネシスにパワーを持って行かれているのか、少々物足りなさが残る。
おそらく他メンバーのプレイが比較的穏やか、おとなしいところも影響しているかも知れない。アントン・イーガーや、ジャスパー・ホイビーみたいなリズム隊なら、とも思うのだけれど、それではフロネシスになってしまうから(笑)ここは難しいところだ。
描かれているラインや、シンセの音使いが面白いところがあるし、他のアルバムを聴いてみると、印象が違うところもあるので評価は決まって来ない。僕もそうだが、大体のこの手の鍵盤は、試行錯誤が激しく蛇行を繰り返す。ある側面だけを捉えての判断は避けたいところだ。
、、、、と言いつつフロネシスの新しい作品を待ち望む自分がここにおります!

                                    (修正・加筆・2020.3.15)