ピアニスト・タカの脱線CD評

筆者はFLAT1-22・天然キーボード奏者の脱線転覆の珍説が脈絡なく展開!

Memories of a Color / Stina Nordenstam

忘れていた歌を聴いてみると、、。

ティーナはスウェーデンのシンガーソングライター。最初に聴いたのは、池袋のデザイン会社の片隅でアルバイトにて働いていた時。自由にやって良い会社だったので、ラジカセ(死語か?)を持ち込んで何時もFMを流しておいたのだけれど、そこから流れて来た。
すでに会社は傾き、仲の良かった奴らは泥舟から脱出した後、僕は結婚して間もなかったこともあり、少し安定させた方が良いかと様子見を兼ねて最後の最後までそこに居たのだった。その気に入った曲が本アルバムのタイトル曲と知ったのは、実は最近。驚くべきことに数十年経過している。「随分だな!」と言われそうだけれど僕の場合こうしたことは、珍しくない事象なのである。間違えて別なバンドのCDを買ってしまったりしたことも序でに思い出しました。これほどの時を経て正しいアルバムを手にしたわけです。まあ、、間違えて別なバンドのライブを見に行ったこともあるから相当おかしい人なのでしょう。因みに本来行くべきライブは「梅津和時さんのユニット」だったと記憶。
ティーナはアルバム2枚を聴いている。えらくロックに偏り先鋭的になったアルバムもあるが、本来的なのはこのデビューアルバムであろうと思う。
聴くとビョークや、歌い方などからはリッキーリージョーンズへの近似性もあるように評されるが確かに。実は近くて遠い音楽性ではないだろうか?
ティーナの音楽はとても繊細で、触るとカラカラと小さな音を立てて崩れてしまいそうな気配がある。
声・歌い方は、独特でここは好き嫌いがあるかも知れない。
ビョークよりは、太く丸みを帯びて若干ウィスパーヴォイスとなる。先を急がず音を置いていく感じの歌い方は他に聴くことは出来ない特長。
作品力がまた無視出来ない。比類無き世界を構築している。
本作で好むのは、今のところ冒頭のタイトル曲とラストになるが、おそらく今まで彼女の音楽を聴いた経験から、次第にそれは均されていって淀みなく、綺麗な水面になるかと予想が付く。

秀逸なのは他作にも同じく言えるのだが、レコーディングの際立ったセンス。こういうサウンド、ヴォーカルの前への出し方は国産ではあまり聴かれない。
北欧の音楽レベルの高さ、奥深さを知るところだろうか。
オーディオなんかも造りが良く音がいいものなぁ、、、!スウェーデンは車造りだってなかなか侮れない。お洒落で他とは一線を画す佇まいのシルエットが、、また脱線しました。
でも、この音楽の下地には風土が深く絡んでいると思う。
土の香り、風の温度感を感じる。

僕は、風というのは実は時間と「グル」になっていて、今吹いて頰を撫でた微風は過去から来たものである、、ということを考えることがある。風は自分の忘れた過去を記憶しており、それを未来に向けて届けに来ると、そういうイメージだろうか。

今しがたスティーナを聴いて、久しぶりに風と時間のことを考えたりしたのだけれど、この音楽には、そういう作用があるのかな?とも思う。

そう言えば、それほど多くは出現しないがピアノが使われている。この音、質感も昨今のピアノレコーディングとは向かっている方向が全く異なる。ピアノってどうしても美しくキレイに鳴っているところを切り取りたいという録音姿勢となるが、これは見ている方向・世界が違う。
中学や高校時代、音楽室で聴いた(今でも耳の奥に残っている)音に近い。しかし単に懐かしさや古い質感を狙っただけの音とは少し違う。狙った音、アーティストが望んだのであろうか?そういうイメージした音を、繊細な気持ちを持ったエンジニアがつくりあげたピアノ音に違いないと確信してます。
こうして感想をあれやこれやと述べると、難しい気持ちになると困るのですが、これは読書のお供にも。そして、車で彼女(彼と)二人きりのドライブで威力?を発揮するような気もします。スティーナはあまりインタビューもなく人前にもあまり出ないらしいです。その内向的な感じは作品に良く出ていますが、でもそれはマイナス側にもパワーはあるのだ!ということを語っている気がします。