ピアニスト・タカの脱線CD評

筆者はFLAT1-22・天然キーボード奏者の脱線転覆の珍説が脈絡なく展開!

ソフトマシーン・Bundles 程良いBGM?

今更登場か?と音楽ファンには言われるであろう、笑

カンタベリー系って何よ?と思ったのは、僕のバンドFLAT1-22が評される時によく出るキーワードだったから。
これだけ中半端に聴きかじったバンドも珍しいと思う。
しかし、ようやく繰り返し聴けるアルバムが出てまいりました。本作がそうなのですが、しかしこれもまた間違いなく聴いてますね。冒頭のゴォーンという暗くノイジーな鐘の音は流石に心に残ってます。
つまり、ソフトマシーンって専門的にガツガツと聴かない割には折に触れて聴いており、累積回数では「上位ランク入りの不思議なバンド」ということになります。しかし、本サイトは一応はCD評サイトでありますので、もう少し知見を増やすべきと先ほどネットをさらって少しお勉強しました。
それにしても、これだけメンバーチェンジするバンドも凄いですね。脱退する中身も音楽的な内容ですが、よくこれだけ人が出入りするものだ。まるで人気の立喰蕎麦屋の風情が浮かんでしまう。またチェンジがバンドの変化と活性化に繋がって行くというのがポイント。例えば、ギターが出張ってくるとキーボードは居場所を失うという、痛いほど分かる世界。エレクトリックギターは基本リードをとって世界観を構築するので、どうしても和音楽器のキーボードは自然支える役割となる。ピアノやシンセを主戦とするのなら、ギターを入れちゃ駄目ですね。
上記はマイク・ラトリッジとアラン・ホールズワースのこと。でも、このアルバムでは何とか力を振り絞ったのか?バランスを保っており、変則的なソロやサラサラとしたしたピアノプレイにはセンスを感じますね。個人的に、マイク・ラトリッジの創る音楽には共感・好感を持つものです。
全体を通して聴くと、主旋律にも延々とリピートするバッキングフレーズにも明確な特徴があり、聴きやすい。
会社帰りなどで薄く流しておくと良質なBGMにもなり、どうしてなかなか懐の深さを感じさせます。質感としてはこれだけ遠い時代ですから仕方ないところはあります。ただ、やっている音楽自体・演奏スキルがとても高いので決して古臭いだけの音楽ではないですね。

むしろ、音質は古いのに音楽は今もって新しいところがあるという妙なギャップが面白い。
ドラム(ジョン・マーシャル)の演奏を取り出すと、現行のジャズロックや、プログレに於いては類似のフレーズが多用されており、リズムセンスの流れを作り出したという功績を感じます。まあ、作品力で頑張らないと、単にソフトマシーンの焼直しになっちゃうわけです。
ここで聴かれるアランホールズワースのギターは確かに呆れるほどです。しかし、敢えて言うなら、彼の他の演奏からすればやはり若いと思う。ただ凄いことを弾いているだけ、という言い方は語弊がありますが。こういうリズムにカッチリのった感のあるギターの方が好きだ!というコメントも見受けられますが、僕は逆ですね。彼はやはりヌメーッッッとしたどこに頭が来ているのか「不明」と言ったイメージの演奏がしっくり来ます。他のギタリストでは決して描くことの出来ない「アラン・エンヴェロープ」。
ところで本アルバムでは、昔の邦画BGMのようなところがあり、聴いて不思議なほどの懐かしさに包まれます。映画音楽には、こうしてやけに"ソフトマシーン風"だったり、やけに"ショスタコーヴィチ(近現代を代表する作曲家)風"だったりというのが散見されて笑顔になります。映画の中でもあまり重大ではない部分。街の景色、森の木々が騒ついていたりするところ、夕暮れの空など、物語Aから物語Bへのブリッジとして使われる「取り留めのない時の移ろい」が好きだし、音楽はこういうところにピタリと嵌まる。絵心のある音楽が好きな傾向が自分にはあります。その傾向と本作で作られている音楽はどこかで繋がっているのかも知れない。音数過多!これでもかと突っ込まれている割には、どこかこざっぱりとした爽やかな印象を受けます。おそらくリズムの質感から来ているような気がしますが、いずれにせよ良きバンドのキャラであろうと思います。歌はどこにも出てこない!媚びることなく演奏だけで聴かせる、野球に例えるなら豪速球投手のようでもあります。ジャズロック界の「江川卓」と呼びたい。