オススメ・アルバム

〈 g e n r e 〉

収録風景/ホロヴィッツ モーツァルトピアノ協奏曲23番

ホロヴィッツは僕が最も尊敬するピアニストです。

モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番、ピアノ・ソナタ第13番

 Youtubeにアップされているホロヴィッツの収録風景は僕にとって、最近特に興味を掻立てられる内容だった。

譜捲りの若いスタッフがうっかり忘れて巨匠が自分で譜面を捲ったシーンなどは面白い。気難しいことでも知られたホロヴィッツですが、こういったことでは怒らなかったのですね。クスッと笑って「コラ!」と言った感じです。

また指揮者ジュリーニとミラノスカラ座オケとの雰囲気もとても良好です。

というか巨匠に対するジュリーニジュリーニもまた巨匠ではありますが)の気遣いが、伝わる絵柄でもあります。

ピアノに向う以外は絶えずおしゃべりなホロヴィッツ、笑顔ながら寡黙なジュリーニが対象的です。

これはホロヴィッツが天に召される2年前の映像ということですが、おどろくほど元気で明るく、矍鑠としている。

ブレイクしている時は、自分も楽団に向って指揮をしたり、譜捲りの青年にコソコソと話しかけたり。

しかし、その一挙手一投足には、プレッシャーから自分を解放し、モーツァルトに対峙する自分を鼓舞する気持ちが痛くなるほどに現れている。

それにしても、この出音の素晴らしさは何だろう?

ピアノの精緻に整えられたコンディション、オケとの相性、技術陣のピアニストに対する理解。様々なポイントが考えられそうだが、しかしこれが他のピアニストではこのような音にはならないと推測出来る。

そこはやはりホロヴィッツ本人の特異なタッチ、そしてそのタッチによるモーツァルトとの関係性において、、ということになると思います。

言葉で言うと何かイメージが萎んでしまいますが、敢えて思い浮かぶ言葉は「立体的」ということです。このピアノから紡ぎ出される音は、とても濃厚で独特な温度・湿度感を伴い、3次元的な立体性を感じさせるものです。

このような奥行きが感じられるピアニストはなかなか居ないし、ホロヴィッツ自身にしても若い頃の演奏内容とは随分違うところがある。

というか、こういった境地に辿り着いたのか?と感慨深い。

30歳頃のリストのソナタ等を聴くと、本当に腰を抜かすほどに凄い。そのリズムセンスは誰にも真似出来ない。「神様がピアノを弾いたらこんな音かも知れない」という轟音の間、深い断層の鋭利なイメージ。

本作でのホロヴィッツを聴くと、長きに渡って孤独に試行錯誤していたのではないかと想いを馳せます。

それにしても何と魅力的な音を引き出すのでしょう。

身体全体の使い方、指の独立性、そこにも特異なところが見えます。

指を寝そべったように延ばして弾きますが、動作していない指の畳み方などにも興味が行きます。

真似してみたくなる弾き方です。

しかし、ピアニストが10人いたら、10通りの弾き方が在るべきでしょう。

自分の骨の造作、筋肉の質に見合った(最大公約数的に)脳からのコントロールが得られるフォームの確立を目指すということになります。

ホロヴィッツ自身がきっと説明が難しい、と思っていたところにこそテクニック神髄が隠されているはずです。

その大切なポイントに近づくほど言葉というのは力を持たない。

昔、指示した(今でも尊敬しております)先生は、折に触れて「モーツァルトは、とても難しいのよ」と言っていたものです。

ラヴェルを売りとするピアニストである先生がモーツァルトが難しい、ということに当時18歳の僕は違和感がありましたが、それは今「そりゃそうだ!」と普通に理解出来ます。この骨組みだけで出来ている作品内容、定規で完璧な線を引いたようなお驚くべき精緻な音楽。

ホロヴィッツもおそらく、そういった難しさは感じておられたかも知れません。

しかしその高いハードルを飄々とした表情で超えて、収録を終えました。

その少し前に薬の影響から悲しいほどの衰えを隠せなかったところから、最後力を振り絞ったのでしょうか?

不死鳥のようでした。

辿り着いた世界、それは音の天国のような場所だったに違いない。

彼より弾ける若手、指の回るピアニストは少なくないです。

しかし彼のように弾けるピアニストは存在しない。

何時までも聴かれるピアニストでしょう。

Beatls/Revolver(リボルバー)ー 平伏するしかない?

今更ではない!これからのビートルズ

ビートルズ・アルバム評の第一弾は「Revolverリボルバー)」となります。

僕のイチオシと言えば「Revolver(リボルバー)」です。これは全く迷わずに。

 

小学生の僕にとって、ビートルズ初体験はあまりに強烈だった。
Get Back
特にコレ。過激過ぎた!!!!
叔母の家で聴かされたビートルス。

「Let It Be」例の有名なジャケット。ビートルズを初めて聴いたのがこの最後のアルバムだった。リボルバーを聴いたのは高校時代、5年後となる。

釜石市両石町にあるこの家は津波でもうありませんが、心の中で普通の状態で生きてます。自分にとって大切な人、モノ、馴れ親しんだ景色、例えこの世からなくなっても心の中に在る限りは消失したことにはならないのだと思います。
聴いて腰を抜かしたというのなら、やはりビートルズピンクフロイドということになるでしょう。

それにしてもビートルズ、最近気になるのが不思議。
でも、冷静に考えると、僕にはビートルズ周期というのがあって、それが今、来ているのかも知れない。オリンピックとか、皆既月食とかと同じように。

ビートルズが数多のバンドと一線を隔てているのは、その実験精神に在ると思います。それは、子供の好奇心同様に止まることを知らない。そして、それでいて変に奇天烈にならず、誰が聴いても気持よくなれるところが素晴らしいのだ。1曲はとても短く、言いたいことだけを言うと勿体付けないで、あっさりと終わってしまう。中には途中で止めたような曲もあって笑ってしまう。大体が2分とか3分とか、という尺の短さだ。彼のスティーヴン・キングは序章において「作家にとって短編こそが難しいのだ」と述べた。どこか通じるところがあって興味深い。


彼らは、変にアカデミックになったりしない。
むしろアカデミックをちゃかしたりするセンス。パロディ精神。
マエストロ・レナードバースティンをして「ビートルズの音楽はバッハの美しさに比肩しうる」
実に痛快じゃないか!!

さて脱線も甚だしい。本作のベストテイクは、、、
これは、何と言っても「Tomorrow Never Knows」でしょう。
実にカッコいい。この音楽造作には呆れてしまう。リズムマシンのように変化を回避したドラムのリフと、SE(テープ使用?)の織り成す新世界だ。
僕の中のビートルズでは、突出して現役バリバリの曲と言える。本作は前作となる「Rubber Soul」、その後にリリースされることになる「Sgt Pepper's Lonely Hearts Club Band」「Magical Mystery Tour」に挟まれた格好だ。そして後発2作はアルバムカラーが似ており、しかもビートルズの最高傑作と評する場合が多い。その理由からなのか若干"隠れた名作"的なところがあって、ポツンと離れたところに佇む印象を、僕は持っている。

 

どのアルバムがビートルズの最高傑作とするか?

よくネタにされるけれど、もしかするとあまり意味を成さないかも知れない。自分にとって最高傑作であればそれでOKだと思う。作品を重ねて点数を出すような寒いやり方だったら間違いなく「The Beatles(通称:The White Album」となるだろうか。しかし、敢えてこのページで「Revolver(リボルバー)」を取り上げたのは、本作がアルバムの出来具合とは別に持っている、独特な風合い、透明感みたいなものからです。これは他のアルバムでは感じられない特長です。他より手触りが冷たく、涼し気で、アルバム全体として何かひとつのイメージがある。これは個人的な見立てです。こういった自分なりのイメージをアルバムに持っている人は特にビートルズの場合多いと思いますし、その想いは熱く強いものと容易に想像出来ます。ビートルズなので、誰でも知っている曲が数曲入っています。「Eleanor Rigby」「Yellow Submarine」等。

しかしこのアルバムは、中心となる作品の脇を固める楽曲に驚くほど美しい旋律をもつ「Here, There and Everywhere」「For No One」が置かれていることがポイントとなります。


余談ながら、東京ドームで行われたローリングストーンズのライブで、ビートルズのビデオがオーロラヴィジョンに映ったことを時折思い出す。
このコンサートがビートルズだったら(ストーンズファンには申し訳ないけれど)と思うと泣けて仕方がなかったです。先頃ポールが来日しましたが、ポールひとりでも行けば良かったかなぁと、少し後悔。
ジョンもジョージもこの世に居ないということが、とても寂しいです。
しかし、これだけの作品を残してくれております。これからも、折に触れて聴いて行きたいものです。

もっと評価されるべき "ショスタコーヴィチ"

ショスタコーヴィチ:交響曲第5番

映画音楽のルーツがここにある。

さて、遂にショスタコーヴィチ御大の登場です。
ロシアの誇る近現代作曲家、クラシックの長き歴史の中でも間違いなくベスト10入りする大作曲家でしょう。
その作品の中で最も有名な作品がショスタコーヴィチ:交響曲第5番となります。

高校時代、吹奏楽部でユーフォニュアムをやっていた友人に薦められて聴いたのが初めてのショスタコでした。後々知ったのですが、実は彼が聴いて欲しかったのは4楽章であり、僕は陰鬱で灰汁の強い1楽章を我慢して聴く羽目に。
いやぁ、、ピンクフロイドの狂気も驚いたけれど、この"ショスタコ"も「何て暗くて気持ちの悪いサウンドなんだ」
とかなりゲッソリした記憶があります。

しかし、何故か惹き付けられるところがあったのか、結局何度も聴く羽目に。
僕の実家は釜石市鵜住居町というところです。高校時代、駅前に本屋さんがあって、そのお店の小さなスペースにレコードが置かれていました。
クラシックは廉価版が置かれていて、僕の小遣いでも購入可能でした。
僕が買ったのは(それしかなかったからですが)ボーンマス交響楽団、指揮者はコンスタン・シルヴェストリという方でしたが、裏表紙に書かれたライナーノーツによると、急逝してしまいオーケストラは後任のことで困っている、とありました。

ショス・5」に関しては、この演奏が僕のメートル原器です。

レーナード・バーンスティン+ニューヨークフィルのものが有名ですが、僕はどうしてもこの最初に聴いたものと相性がいいようです。
不思議です。これを聴くと、あの頃の自分と出会えるからなのでしょうか?

1楽章 重く陰鬱で、まるでざっくりと刻まれた漆黒の彫刻をイメージしますね。こういう旋律を書ける作曲家の強い意志・自制心を感じ圧倒されます。後半になるとスネアの特徴的な連打でテンポ感を演出して、この楽章を色調豊かなものとしております。そのアレンジの妙に引き込まれます。

2楽章 一転して明るく奇天烈な3拍子系となり、まるでサーカスのピエロのようです。このセンスは他の作品でもよく聴かれるショスタコ節の定番的なところでしょう。

3楽章 個人的見解ではこの作品中最もインパクトの強いパートです。おそらくロシア人でないと、こういう雰囲気は造り出せないだろうという響き。ロシア特有の季節感溢れる楽章ですが、圧倒的に旋律が美しく、特にハープをバックに演奏されるフルートは秀逸と言えます。またこの楽章の本作品の中で、最も精神性の深いところを感じます。

4楽章 分かりやすい楽章。華やかさを持つフィナーレです。ロシアの大地を感じさせる雄大なスケール感。ティンパニをはじめとした打楽器、特に金管楽器のアレンジは素晴らしい!という他はないです。

それにしても、ぶつかり合う対旋律からあれよあれよとキレイに解決するラインの構成は、筆舌につくし難く、バルトークとの近似性を言われることが多いですが、やはり違うと思います。
ショスタコは若い頃、無声映画の伴奏を仕事にしていたそうです。

その影響が作品の随所に出ているのでは?と思うのですが、考えてみれば昔のアメリカ映画やTVドラマ、例えば「名犬ラッシー」や「逃亡者」等の音楽はショスタコのようであったと記憶しています。というか当時のアメリカの劇伴をやっていた作曲家は、ロシアの作曲家、ショスタコーヴィチプロコフィエフ、更にストラヴィンスキー辺りから
少なからず影響を受けていたのでは?と推測されます。音楽と映画、音楽と絵画はどこかに接点があり、深くつながるところがあるのでしょう。

この交響曲の3楽章を聴いてみてください。
映画のワンシーンに自分が置かれているような気持ちになります。
一生に一度で良いから「こんな作品を書けたら」と何時も思います。
しかしこの当時のロシア(ソ連)社会の圧迫や、政治情勢のことがこの作品のキャラを決めている部分があるのは確かです。
音楽は、少なからずその時代の世相を反映するものだと思いますが、
本作品でも「政治の関与」つまり、、プラウダ批判のことが必ずと言っていい程、説明にあがる。
この曲によって当局の批判に晒されたショスタコは名誉を回復したとある。

事実はそうなるのかも知れないが、僕はそういうことを、この作品に持ち込みたくはない。音楽を行うということは、本来音楽本意であるべきで、政治がそこに介入することは音楽の存在そのものを否定していることに他ならない。
僕はこの信じられないほど素晴らしい作品を(ショスタコ本人がどのような気持ちで書いたにせよ)純粋にイメージ表現の具現化として受け止めたいと思うのです。

今日は少し重くなってしまいましたね。
でもたまにはいいでしょう♬

ジャケが、、キングクリムゾン/宮殿

クリムゾンの連中は今も宮殿で暮らしている?

実は僕、文通している方がいます。素敵な方ですが変な関係ではないですよ。アメリカに居住の音楽友達です。
その方が珍しくプログレッシブロックにお詳しい。

鼻歌で「風に語りて」を歌ったりするらしい(笑)
だからこその得難い友達なのですが。
風に語りて、「I talk to the wind」超名曲ですね。これが入っているアルバムと言えば、「宮殿(In the Court of the Crimson King)となります。カッコ内の"In The Court Of The Crimson King"が正しいタイトルですが、僕は「宮殿」という邦題の方が何とも言えないイメージを感じますね。

すこし野暮ったくて、生暖かく適度に湿っているというのか。

それにしてもこのジャケットです。僕のCD評に登場する「レコード・ユキ」。いつも少し機嫌が悪そうな、そして微妙に可愛いお姉さん。彼女の立っているレジにこのレコードを持って行くのか実に、何と言うか大変な気持ちでした。(当時、釜石市のスポーツ用品店「田丸」の傍に在ったと記憶しております。)
ピンクフロイドといい、クリムゾンといい、何故にこうもガイキチオヤジがお好きなのでしょうか?この真っ赤な顔、口をあんぐりと開けてノドチンコまで見えております。この顔色、どうしたって血圧ヤバそうですよね?ジャケに登場している場合じゃないす。すぐに病院に行った方が良さそうです。
1曲目の「二十一世紀の精神異常者」からすればジャケのイメージ通りですが、他の曲が美メロ揃いなだけに今でも違和感があります。でも、インパクトが凄いですね。国産アルバムでは難しいデザインかも知れない。

プログレ界のご多分に漏れず、メンバーチェンジの多いバンドですが、ファーストアルバムの本作ではベーシストがグレグ・レイクですね。彼は、結果的にELPに落ち着くわけですが、決してクリムゾンに合わなかったというのではないです。むしろ後発のJ.ウェットンよりも僕は好きですね。
J. ウェットンは決して下手ではないけれど、何時も声が苦しそうで、僕は喘息でひどい目にあった少年時代を思い出してしまいます。ベーシストとしてもグレグ・レイクの方が好きです。ですが、このベースがロバートフィリップの気に入らないところだったらしく、脱退(クビ?)の大きな要因とも言われております。

2作目「ポセイドンの目覚め(In The Wake Of Poseidon」ではベースがピーター・ジャイルスにチェンジされています。因にこの2作目のジャケはなかなかの秀逸だと個人的には思います。

ベースはこのユニットの鬼門というのか、次から次へと変ります。よく隠れた傑作と評価される「アイランド(Islands)」では、ボズ・バレルのヴォーカルを推すクリムゾンファンも多いですが、彼もまたベーシストであり、その後、バッドカンパニーへ参加することになります。因に彼にベースを教えたのがロバート・フィリップであったということです。


余談なりますが、この中でも特に人気のある「エピタフ(Epitaph」はザ・ピーナッツがカバーしており、これはYoutubeで聴くことが可能です。なかなか凄い世界ですよ。演奏も忠実にコピー(特にドラム)しているところがり、ピーナッツのお二方の歌がまた素晴らしい。
和風「エピタフ」是非に、ご試聴トライしてください。

https://www.youtube.com/watch?v=Y21_bGNsKVo

原曲のイメージをちっとも損なっていないと思います。しかもライブ。良き時代ですね。西城秀樹さんやフォーリーブスも歌ったそうです。

このアルバムが名盤と言われる理由は、ジャケデザインを含めその要素は色々だと思いますが、突き詰めれば分かりやすい旋律ということになると思います。
語弊があるかもしれませんが、浪花節、更に語弊を恐れずに言えば演歌調と。

「宮殿」から始まったこのユニットは 「RED」を区切りに活動を停止するわけですが、この分岐点となるアルバムは、三人(R.フィリップ、B.ブラッフォード、J.ウェットン)で成立させております。これが先々再生されるクリムゾンの萌芽と捉えることが出来るかもしれません。新しいクリムゾンは(僕個人としては)理想的なメンバーで構成されておりました。トニー・レヴィンビル・ブラッフォードのリズム隊を主軸とし、エイドリアン・ブリュー。そしてクリムゾンの歴史そのものであるロバート・フィリップ。クリムゾンの長き歴史の中でもこの時期が最良だったように思います。
ミニマル、ポリリズムを多用し、よりソリッドで隙間の空いたサウンドでコンセプトを明確なものとしました。黎明期と比較するとこれが同じバンドか、と疑ってしまうほどに異なるサウンドです。僕はどちらかと言えば新型クリムゾンの方を好みますが、それでもこのバンドの根底に横たわるのは、紛れもなく「宮殿」なのだと思います。

 

本作はサックスやフルートなどの管楽器を配置して、全体としてカラフルな色調です。ドラマーのアプローチはジャズに触発されているのか、ロックの括りだけでは語れないセンスが散見されます。また、とにかくどの曲も旋律がキレイです。この分かりやすいキレイな旋律が在るところがクリムゾン初期の良きポイントだと思います。

一柳慧/交響曲第8番─リヴェレーション2011         室内オーケストラ版

現代音楽に取りついたイメージを払拭してほしい。
一柳慧:交響曲第8番─リヴェレーション2011 室内オーケストラ版

紛うことなき現代音楽作品である。
僕は一柳の音楽は(本人の演奏による)ライブで聴いたことがある。高橋悠治と「不屈の民」で知られるジェフスキーも出演しており、この夢のような巨人三人によるコンサートに接したことが今は、朧げな夢のようにも感じられる。

あの時、高橋悠治はサンプリングに興味が行っていたのか、Roland社の新型S50を使ってサウンドコラージュ的な音楽を作っていたが、三人の中では一番つまらなかった。
本当は高橋悠治が出演するから飛びついたライブだったのに、結果として一柳の自作自演が最も相性が良かったように記憶している。
ジェフスキーの「不屈の民」を聴くことが出来たのも良かったが、それはどちらかというと絵画展で貴重な絵を見るような感慨に近いものだった。個人的に作品自体がそれほど好きというわけではなかったので自然、消去法的に一柳の作品に目(耳)が行ったのかも知れない。

しかし、そのライブを起点となり彼の音楽はどこか自分と相性が良いということが刷り込まれてしまったようだった。一柳の音楽は電気楽器を使用したものから、本作のような現代音楽の中に於いて比較的ニュートラルな内容まで、殆どの作品に拒否反応が出ない。普通にすんなりと入って行ける。耳を峙てて聴くこともあるが、環境音楽的に何となく部屋に放流していることもある。聴き方を選ばないところが良いところだ。

本作で作曲者は、以下のように説明している。
『「西欧文明の普及によって葬り去られ、忘れられつつある古来からの特異性の上に育まれてきた日本固有の考え方や、生きるための知恵や経験を、これからどう受け継ぎ、再生させてゆけるか」と自問しながら書き上げた』
述べた内容は理解出来るが、実際音楽を聴いて、そう言った自問自答、試行錯誤がどのようにこの音楽内容に結びついているのか? 僕には、分からなかった。
また、分かろうとしなくても良いような気もする。それは一柳が作曲するさいに、そういう思考が働いたということであり、作曲家の手を離れた音楽は、聴き手の 自由意志に委ねられるのであるから。わざとひどい表現をするが「奥様との夜の営みのBGMにピッタリ良い」と評されても、作曲家は「う、うん、ま あね」とか言って認めなければならない。そういうことだ。

この人の音楽は殆どがそうだが、意外にサラリとしていて邪魔にならない。
現代音楽なので、わけが分からん!という場面も無いわけではない。しかし、そういった場合でも、不思議なことに質量の軽さを感じる。
上記で述べたように、薄く部屋の空間に漂わせておいても何ら問題ない。造詣深き現代音楽の専門家や音楽ファンには叱られそうだが、しかし現代音楽が気軽で楽しく聴かれるようにならないことにはこのジャンルの未来はないと思う。作曲家のあまりに独善的かつ専門性の高い作業に、社会的な評価はなかなかリンクしてこないだろう。


このアルバムは室内楽という小さな編成で、空間的なアプローチでより大きな宇宙を構築する後半のプログラムと、前半の弦楽四重奏という組み合わせだが、この弦楽四重奏も巨匠流石のアプローチで退屈させない。バルトーク弦楽四重奏と近似性を感じさせるところがあって、そういう観点で聴くのも楽しい。
僕は、例えばビトゥイーン・スペース・アンド・タイム 室内オーケストラのためので聴かれるような"突如として冷たい風に吹かれたかのように"出現するピアノの使い方が素晴らしいと感じる。
こういうハッ!とさせるところが一柳音楽の素敵なところだ。
最初は取付きが悪くても、自分なりにここは面白いな、、というパーツを探し出して理解の幅を広げていくと良いかも知れない。先々、それはひとつのカタマリに向って行くとと思う。

一柳作品は、特にピアノ関係、それから打楽器、マリンバ等を使用したものに内容が感じられる。
ピアノも構造上、演奏上において打楽器の一種と捉えることが出来るけれども、もしかするとお好きな楽器がハッキリしているのかも知れない。
現代音楽は最初から無理と決めつけないこと、そして先入観を持たないで素直にアプローチすると良いです。

本作も何回か聴くうちに座右の一枚となる可能性は秘めているが、やはりこの魅力的な編曲の上に何か魅力的なシンプルな旋律が在ったらなぁ、、と思ったりもします。
武満徹は、テレビのニュース番組のサブタイトルで使用される歌を作曲し、NHKのドラマ「夢千代日記」のテーマ音楽も記憶に残っている。
三宅榛名は、その昔、民放のドラマ「父母の誤算」のテーマを書いたが、あれもまた素晴らしかった。現代音楽作曲家は分かりやすい例で言うと「伊福部昭ゴジラ」のように、半端ではない底力があるわけなので、もっと積極的にTV、映画の仕事をしていただきたいと思います。それから補足的にジャケデザインですが、これはこれで(現代音楽としてのイメージとして)決して悪くないのですが、もう少しイメージを想起させるような例えばECMの一連のジャケデザインなどを参照にセンスを出していただきいと思います。音楽本体が素晴らしいだけに惜しいところだと思います。

現代音楽の寵児・リゲティ/エディション3

「現代音楽の寵児」実際リゲティは、度々このように紹介されます。
聴いて楽しめる現代音楽とも言える。
リゲティという名を初めて聞いたのは高円寺のライブハウス「ペンギンハウス」に出演した時だった。「懐かしく、遠くなってしまった世界だなぁ」と思うけれど、随分やらせていただいて腕を磨くことが出来た。FLAT122(検索すると何か出て来るかも知れません)はこの場所で、音楽を育んで行ったと言っても良いだろう。

リゲティ・エディション3 ピアノのための作品集

そのライブが終わって機材を片付けていると、PAのSさんに(Sさんは既に居なくなったが)「セリー理論で音楽やってるの?リゲティとか好きなんだ。」
そう言われたのである。
僕は「あぁ、、、うん、、まあ」とか言ってごまかしたが、後でこっそりCDを聴いて気に入ったのである。
この知ったかぶりから、出来るだけ速く調べてCDを聴くのが肝要である。そのタイムラグが小さいほどに僕の罪悪感は薄れるのである。それにしてもリゲティと出会って良かった。

 

リゲティ。まずは、その作品力においては頂点に類するであろうと思う。
他現代音楽とはどこか一線を画しているキャラもあって、ジャズやロックファンの中にもリゲティ心棒者は少なくないかも知れない。このタイトル「リゲティ・エディション3 ピアノのための作品集」にはエチュードが入っている。

これは僕がリゲティを初めて聴いて腰を抜かしたエチュードが入っている。またそのエチュードの中に「」という作品が在る。この曲の美しさはどうだろう。絶対に他の作曲家では描き出せない音の重なり、展開だ。

これを聴くと「時間」のことを考える。

この世で最も美しいのは「時間」なのではないだろうか。
虹 が始まると、いつも「高校時代」授業が終わり放課後へと移行する頃合い、夕暮れに差掛かる中途半端な帯域へと自分が誘われる。物憂い色合いのチャイムが遠 くで鳴っており、生徒達の声が交差している。その描き出し方は押し付けがましくなく柔らかく独特な浮遊感を持って自分を包み込む。「虹」でリゲティが言い たかったことは、こんなことではないだろう。でも、僕には常にこのように作用する。その「イメージの屈折」こそが音楽の持つ素敵な側面というものかも知れ ない。

そにしても、こういう風に包容力のある音楽を僕は他に知らない。
これだけ高度な音使いを駆使していながら、その音楽の在り方はひたすら謙虚に漂っている。溜息が出てしまう。

も ちろん、他ではポリリズムで押し倒してくる作品もあれば、ある種不気味さを伴うものもある。そして散見されるのは、意外にポップな(こういう形容が許され るなら、、笑)旋律が内包されていること。音楽ファンのコメントにも「現代音楽なのに聴きやすい」とか「凄い音楽だが、同時に美しさを感じる」などとあり 現代音楽の作曲家達と比較しても頭ひとつ抜け出した評価となる。

根クラに専門性を追求するイメージが強い現代音楽の中では珍しく、飄々と音楽を進める。「このように聴いて欲しい」とか「このようにあるべきだ」という気難しさ、傲慢なところがない。そこがとても良いと思う。

素直に聴けば誰にでも楽しめるはず、、と僕は信じて疑わない。もし聴いてよく分からなかったら、申し訳ないのだけれど、何度か聴きなおしてほしい。必ず自分にフィットした作品があるはず。そこからこじ開けていくと良いでしょう。

心に刻まれる理由ーピンクフロイド「狂気」

消失された場所で聴いた「狂気」の記憶。


18歳の僕とピンクフロイド「狂気」、イメージは重なりひとつの記憶になっている。

The Dark Side of the Moon

「狂気」はもちろん邦題ですね。上記がオリジナルのタイトル。
本作は出来るだけ良い音で聴きたい内容となります。狂気 (30周年記念盤)(SACD)
それにしても「狂気」ってのもあながちイメージとしては外れていない。だって気味の悪いオッサンが登場するから。

学校から帰って来た僕は制服をイライラと脱ぎ捨て、月3000円のお小遣いを叩いて買った本作(当然のことながらLPレコード)をしげしげと眺め ておりました。当時、実家は建替えをするというので、叔母の家(母の実家)に預けられていたのですが、その2階には都合良くステレオが置いてありました。今思えば叔母が1階から移動しておいてくれたのかも知れません。僕はレコードに針を落とし、ヘッドホンをかけてボリュームを上げていきました。
すると、カタカタ、、カタカタというSEが聴こえてまいります。喋り声もオーバーラップして来ますが、何しろ聴いたことのない独特な質感で、その音質も国産音楽では到底感じることの出来ない素晴らしいものでした。


よく聴くと、レジのガチャコンというような音も入って徐々に賑やかで、尚かつ不穏な空気感は濃厚になって来る。それにしても最初から、ドコッ、ドコッ、、と心臓の音がしつこく一定のスピードで鳴っているのが妙に気になる。

何時までこんなことやってんの?この音楽は、、、と思っていると、遠くの方から「アァ~、、アァ~、、アァ~、、」と超気味の悪い声が大きくなって来るではありませんか!!
「うわっ!!何コレ」
と僕はヘッドホンを投げ捨ててしまいました。

これですね。音楽のインパクトというのはコレを言うのだと思います。
驚いて聴くのを止めてしまう程の衝撃。何と凄いことでしょう。
気を取直して、コレを聴いたのは半年後でした。すると、このSEの冒頭以降には何と素晴らしい曲(サウンド)が続いていたことでしょう?あの、うす気味の悪いフェイドインがあって、ナイフで切ったように瞬時に移行する本来的にはイントロであろう安堵させるようなギターの音色とリフ。実に計算された演出であり、このバンドの他のプログレバンドにはない機知を感じるところです。

あのガイキチオヤジはもう一度登 場しますが、それぞれの作品に力があるので、こういったアイデアが全て必然性を持つに至っている。TIMEで使われる時計の音、MONEYで使われるキャッシャーの 音、どれもこれもが生々しく、すぐそこで鳴っているようです。

何となく隙間に突っ込みました。そういうSE(サウンドエファクト:効果音)とはわけが違う。このSEはこのバンドのとても大切な要素です。

ピ ンクフロイドはプログレ御三家(これは人によって微妙に異なる)に入るバンドですが、だからといって押し倒すようなテクニックがあるわけではない。 ELPとかキングクリムゾン、もしくはイエスなどとは(その音楽表現において)一線を隔てていると言って良いでしょう。テクニックのないところを創意工夫とコンセプトを強く押し出すことで、聴き手にまるで"記録映画"のような印象を与える。下手とは言うけれど、決して一般的な意味での「下手」と言うのではありません。呆れるほどのテクニックを持つ上記のバンド達と比較してのことです。彼らは自分達の言いたいことを演奏表現するに足るテクニックとキャラを十分持っています。
先にテクニックが来てしまう音楽ほど表層的で薄っぺらなものはありませんから。
「テクニックは自分達の表現の下に位置するもの」彼らは音を通して教えてくれます。

 

ピンクフロイドは他にも名盤はありますが「強いイメージの塊」を感じるのは本作です。おそらく当時のバンドの状態、世相、録音スタッフ、使用していた機材と作品との関係性などアルバム制作に影響するパーツのひとつひとつが上手く行ったのでしょう。

 

あの叔母の家は、東日本大震災で流されてしまいました。
それでも、夕暮時に聴いたピンクフロイドと当時の自分の織り成した小さな世界は、今でも鮮明に心に刻まれています。
感動を与えてくれる音楽との出会いは本当に素晴らしいですよね。

皆さんも機会があったら是非、試聴してみてください。