ピアニスト・タカの脱線CD評

筆者はFLAT1-22・天然キーボード奏者の脱線転覆の珍説が脈絡なく展開!

遠い存在だったシューベルト「4つの即興曲」・ピリス

ピアニストによって印象が大きく変わる名作
遠い昔、ピアノの先生に「君にはシューベルトは違うんだろうな」と言われたことがある。シューベルトのピアノ曲をあまり好まないことを見透かされていたのだ。
しかし、これほどの時を経て、シューベルトはクラシック音楽の長き歴史において、圧倒的なメロディメーカーだと強く信じるようになったのだが、そのきっかけが本作。
この即興曲のOP90-899 3番を偶然ECMサイトでシフの演奏で聴いたのだが、その圧倒的とも言える音の描く美しい線に驚いてしまった。自分の嗜好の特徴なのだが、どうも長たらしい曲は苦手。なのでマーラーなんかはダメ(笑)なのである。その点シューベルトはあっさり終わる作品が多く、最近では手の平を返して、好みの作曲家の一人。
この作品で最も好きな演奏は、本当はホロヴィッツのものだ。
なので、CDを調べたが出てこなかった。リリースしているのだろうか。何かの作品集にポツンと入っていたりするのかも知れない。ホロヴィッツってそういうプログラムが多いから。
人気曲だから、Youtubeで聴いていただければと思う。

www.youtube.comそして、この作品を通してピアニストが如何に異なるアプローチをするか明確に分かると思う。というか、そんなことは知っているのでっ!と言われそうだ、笑
随分、いろいろと聴いてみたが、ベタなところではやはり内田光子ということになる。またブレンデルもシューベルトを十八番(オハコ)にしている。しかしホロヴィッツのライブには及ばない。ハッキリと御大の方が僕は好きだ。
先を急がず、ポツンポツンと音を発するが、その出し方にはとてつもない強さがあり、完璧な彫刻を目の前に差し出されたようだ。動画で見る手の動きは、理解出来ない独特なフォームであり、どうしてこんな動作からこのような、描き方が可能になるのか分からない。
内田光子のアルバムからこの有名な3番を聴くと、音響が非常にライブで美しく雄大でダイナミックな音だとは思うが、出していただきたい音が殆ど聴き取れなかったり、どこか音楽を大きく演出したかったのか、この曲には違うアプローチのように個人的には思った。
そこで、さらにピアニストを探すと、ピリスがいた!
ピリスは昔から好きだったピアニストだが、どちらかというとモーツァルトのイメージが強く、シューベルトではどうだろう?と思ったのだが、聴くとこれがホロヴィッツとはまた違う良さがあって、僕はこれをオススメとしたい。
まずレコーディングがニュートラルであり、奇策はない。それでいてピアノの音がきちんとピアノの音としてそこに在る。これが意外にエンジニア、プロデュース、ピアニストの好みなのか、ピアノサウンドが本当のピアノの音と乖離している場合も多いように思う。レコーディングによって、様々なサウンドにトライして音楽ファンが納得すればそれでOKとも思うけれど、ピアノを始めた10才からヤマハ・アップライトで耳にしてきた音、上京して先生に叱られながら弾いた音、分不相応な尊いお師匠さんのホームレッスンで触っていたピアノ、それらがミックスしたイメージが自分の好むピアノの音なので、どうにも仕方がない。「思い出は美しすぎて」というやつである、笑
そして、このピアノのアプローチにはどうしても伝えたいポイントがあって、それは左手の音の描き方。
これは、他のピアニストとは一線を隔てている。もしかするとダメな人もいるかも知れない。それほどに左と右のバランスにキャラが際立っている。しかし、作品の内容からすると、これは正しいのかも知れない。シューベルトは左手側にも美しく、極めて大切なラインを設定しているから。ピリスは作曲家の意図するところ、それから作曲そのものに対しても深い造詣があるのだろうと推測します。

余談:数年前にピリスのレッスン風景というのTVでやっておりました。その中でピリスが若い青年(だったと思う)に「緊張しないで!私を怖がらないで!」と言っておりました。なぜか、それが微笑ましく心に残りました。ピリスさんてとてもイイ人なんですね。そのことが本作ともどこかで繋がっています

Aki Rissanen「Another North」ピアノトリオ新次元!

 

昨今最も注目しているピアノトリオです。
久しぶりに執筆?いたします。まずその前に宣伝させてください。
9月30日私のバンド「FLAT122」のライブが東京倶楽部・水道橋店にてございます。昼15時からスタートです。共演は梅垣ルナさん率いる「ルナユリカオリ」です。美女三人対音楽修行僧三人、トリオ同士は戦う前から勝負が決しております、笑 よろしくお願いいたします。

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さて、、ピアノトリオと言えば長らく「フロネシス」だったわけです。しかしほぼ完全にこちらにとって代わりました。
この二つのトリオを比較するとピアノトリオと言う編成は共通ながら、フロネシスがジャスパー・ホイビーというウッドベース奏者が中心となっているのに対し、こちらはアキ・リッサネンが中心となります。それはバンド名にも表れておりますが音楽にもハッキリと違いが出ております。
私がこのバンドを最初に聴いて感じたこと、それはジャズが間違いなく新たな次元に入ったこと。ビルエヴァンスから始まり、チックコリア 、ハービーハンコックと来るわけですが、そうしたジャズフュージョンの世界からはかなり遠いところに位置したサウンドだと思う。そしてテクニックというものが、聴かせるためにあるのではなく表現のツールとしてあるのだという朧げながらではあるけれど語られている気がする。ピアノの弾いている音使い、ラインはクラシック音楽、それも近現代の影響が色濃い。しかも、それが高い次元で吸収されほぼ彼の音楽に置き換わった形で創出されているように私には聴こえる。これを聴くと、フロネシスの音楽はまだ若く、テクニックが一人歩きして稚拙な感じを受ける。ライブで客を圧倒するのには良いかも知れないけれど。本作以外にもYoutubeでライブ演奏を聴いてみると、このトリオの即興性、特にベースとピアノのアプローチをどのように考えサウンドに結びつけているのか、とても興味深い。ピアノが弾いている内容は作品にもよるが、コード表記にはあまり向かない(もちろんこじ付け的に表記は可能だろうけれど)非常に微妙な部分が多く、またその多くは意図的に音がぶつかっている。バルトークとか、ストラヴィンスキーみたいである。自分の音楽を可能な限りピュアなものとして、作り上げる時、また研究材料とする時、クラシック音楽ほど向いているものはないだろうと思う。それは古典から近現代まで全てにおいて。時代と存在の近い他の音楽では、バンド音楽にスタイルが投影されてしまって、本当のオリジナルという境地には立てない気がする。と言うようなことを考えさせる。音の使い方が独特で、この人ならではの数理的なルールがあるようでもあり、何度聴いても飽きない。
もしかすると、このバンド内でのみ通用するようなルールが組み上げられているか、ピアノの大体の方向性を示した譜面が用意されて、ベースとドラムに解釈を委ねているのか、かも知れない。どちらにしても、ベース奏者のスキルの高さを伺わせると言うことになるのか。今のところ何度聴いても飽きないので、このバンドは後1枚あれば良いかな?と言う気もするが、何か大きな変化が先々あっても良いかも。電気の大幅な導入とか、電子ではなく電気ですね。電気は私のイメージのみの話ですが、空気が入っているから。電子は平たくて薄っぺらく、表層的な感じがする。シンセの導入はとても慎重な方がいい、サンプラーをイメージ表現で使う方が敷居が低いと。久しぶりに書いたらやはり脱線しました、笑
近況:私も遅ればせながらコロッちゃいました。(板橋成増在住のどこかの下手ピアニストのように)コロナなんてただの風邪じゃん!等と侮ってはいけません。これは、ただの風邪ではないです。病気のことはやはり自分が実際に罹患してから言いましょう。本日4日目ですが、大分OKです。何が酷いって倦怠感以上に喉の痛みです。増えている模様。皆様もどうぞご注意ください。何しろライブに間に合って良かったです!

 

 

 

The Chick Corea New Trio「過去、現在、未来」

意外に、、なかなか、、!

最近、チック・コリアなのである。
今更感が相当強いけれど、実はピアニストとしてチックコリア をしっかり聴いてこなかったのでは?と思う。

バンドの塊として、そして作品中心としての聴き方だったかも知れない。
チックコリがと言えば、耳コピカセットデッキ1台ぶっ壊しましたからね。何しろそういう大変なお方になります。AIWAカセットデッキ、チックに電車道で持って行かれるの図。

本作は存在としては地味な方だと思う。
タイトルが渡辺真知子さんの某曲タイトルと交差するのが笑える。順番が違うんだな!あちらは「現在・過去・未来」となる。

この作品は私にとって耳に優しく、素直に聴ける佳作ともいうべきものだ。佳作を侮ってはいけませんよ!佳作というのは実はスルメと一緒で噛めば噛むほど、、聴けば聴くほど本領を発揮し飽きが来ないものなのです。傑作が佳作で、佳作が傑作でしょ!って僕は本気で思ったりする(笑)

さて、、本作を聴くきっかけとなったのは、Youtubeで偶然「Finger Print」を聴いたからで、これはリズムの取り方やフレーズが作品中最もプログレ寄りな内容となる。

全体を聴くと、実はこの作品だけが他と少し内容を異にしている気がする。他はこういった変則的なリズム・アプローチは取らない。ごく真っ当なジャズ的であったり、ラテン的であったりという、これまでのチックコリア の音楽を踏襲している。

私にとって特筆すべき点は、リズム隊。

まず、ドラムの音(チューニング、録音の質)に耳が行く。

完全に好みの方向なので、それだけで気持ちよく、ベースのテクニカルなアプローチと合間って会社の帰り道のBGM定番となる。
試聴コメントに「ドライな音で湿っている」とあったが確かにドライで若干ガサついた音だと思う。しかし湿っているか?と言えば、僕はそうは感じないけれど。この少し粗さがあって、尚且つ空間的なサウンドを昔から好む傾向にあるわけだ。音楽の内容に関係なく。

このドラムの音は、実はここ数年気付いたことなのだが、個人的にとても気になるところ。例えば、本作を何度か聴いていると、数年前に狂ったように聴いていたフロネシスに近似している部分があるように感じる。

それは、実はピアノが顕著で、これはフロネシスのイーヴォ・ニアムがチックコリア に似ているのである。

チックが真似したんじゃないわな、、笑 当然のことながら。。

そして、このフロネシスと本作で最も異なるのがドラムの音。

以前から、アントンイーガーの太鼓の音は好みではないので(上手けれど、、)それで最初に聴いた瞬間に、ドラムの音が気に入ったと。

バンドの音楽が似ているので、ドラムの違いが際立ったわけです。

因みに私が最も好きなドラムサウンドは「ビリー・コブハム」です。ちょいとベタですけれど。

本作はチックコリア のアルバムというよりは、漠然と良質なジャズトリオの演奏として聴くと気持ちが良いと思う。

結局、愛聴している理由、それは三人の引き出しの多彩なところ、音楽の幅から来るものであろうことは間違いない。

グレン・グールド「ブラームス・間奏曲集」

いつも傍に置く一枚。

昔、ピアノの先生に「好きなピアニストは誰?」と質問されて「グレングールド」と返すと「うーん、、。」と困ったように笑うのであった。
グレングールドってクラシックの世界において、そういう特別な(特異な)場所に置かれるピアニストだと思う。
しかし、国内外問わずファンは多い。それはバッハの演奏において顕著だが、どっこい他の作曲家においても名盤はある。
本作「ブラームス・間奏曲集」はその一枚と言い切れるに違いない。
この美しい隠花植物のような作品。慈愛に満ちており、燻し銀のような存在だが、これを自分のキャラを前面に出し、尚且つ作品に沿うのは大変難しい。

クラシック作品は、テクニックで乗り越えなければならない難曲が無数にあるが(ラヴェルプロコフィエフのピアノコンチェルトのように)、そうしたメカニカルな世界とは一線を隔てたところにある別な難しさを持つ作品も少なからずある。一見、単純なスケールとアルベルティバス*で弾くことの多い、モーツァルトは、その最たるものだ。さらった経験を持つ方なら何となく感じたことがあるかも知れないが。仕上がりとしては、ある程度のところまでは行くのだが、この骨組みだけで成立したような音楽。虚飾を排した完璧な音のデザインを持つ天才の音楽は、その先、なかなか格好がつかない。
また両手のバランスが悪かったり、音を引っ掛けると全体のイメージを損なう。つまりモーツァルトピアノ曲はとても難しいということになる。

そしてこのブラームスの間奏曲も同じく、きらびやかなテクニックはないが、形とするのは難しい。
何かピアノを弾くということ以前に、文学的な思索や、絵画や写真から感じ取れる繊細な脳のアプローチが必要という気がしてくる。

グレングールドはご存知の方も多いと思うが、作曲家でもあった。というか「作曲家になりたかった」というのが正しいのか。

あれほど若いうちに隠居してしまったのも「作曲」ということであれば素直に頷ける。(飛行機やホテル、コンサートホールの環境にも神経質であった。)

しかし、このブラームスを聴くと、こういうピアノを弾く人は他にいないのである。
バッハで聴かれるマルカート(若干音を切り気味に弾くこと、ただスタッカートよりは音を切らない。)気味のパラパラとした音の出し方とは明らかに異なる音の出し方。芸風の広さ、奥深さにはただ平伏するしかない。

自分が望む世界と、真に適する世界は殆どの場合、一致をみない不完全なもので終わるのだろう。

私もそうだ。こんなにも長く音楽をやってしまった!

疲労困憊と蛇行を繰り返し、つまらないことで深く傷ついて、なおも音楽をやるのか?と笑ってしまう。

人というのは、無防備となり身を任せられる温かな場所が必要なのだ。あまりに遠く記憶が朧げとなる出来事を脳のファイルから引き出し確認し、そうだったのか、、と理解するだけで明日へのささやかな力になる事だってある。そんな時のBGM(と言っては失礼か)に本アルバムほど最適な音楽はないように思う。

*アルベルティバス:左手の伴奏形、分散和音のこと。
低音→高音→中音→高音 の順で演奏される。
例:C・G・E・G(ド ソ ミ ソ)上記を当て嵌めるとEが中音ということになる。

FLAT122・ライブビデオダウンロード評

www.youtube.com上記動画は、FLAT122ビデオダウンロード販売のPV「Spiral」抜粋となります。
物凄い超速演奏で、これを7月3日のライブで再現するかもしれないのですが、出来るのでしょうか?(と他人のよう)
さて、この好評のFLAT122ビデオダウンロード販売は全数8曲から成ります
この自己評価をこのページにアップしたいと思います。どうぞご参考まで、よろしくお願いします。最後に私の連絡先を表記しますので、全貌を手にしたいという方は是非、ご注目ください!

01 ネオクラシックダンス
FLAT122作品の中では柱の一つと言っていい明るく快速テンポの曲。本作ではオリジナルの素の状態を聴くことが出来る。ベースレスギタートリオであるので、一人の持分は限りなく大きく、羽目を外すことが出来ない。この作品は他のユニットでも随分演奏したが、このFLATのテンポが飛び抜けて速くレコードの回転?を間違えたのか、と錯覚してしまう。聴きどころは11拍子と12拍子のポリリズムで、これを対角線上に12Bと11Bのしゃくとして最後フレーズがカッチリと合うように構成される。その後、何のフィルインもなく次のパートに行くのがまたこのバンドの最たる特徴。せっかちで、とにかく先に先に向かっていく。何をムキになって前を向くのであろうか。音楽原理主義(つまりは音楽本意。他のことは全く考えない。宗教とは異なりこちらは可愛いです。)を貫いたこのバンドの青春があると思う。

02 グラーベ
このグラーベは04まで続く3曲の冒頭となる。つまり3曲で1曲だが、それをやったら異様に長く、扱いに困ってしまう。実際曲としては独立した存在でも問題ないかと思う。作曲時にバッハに敬愛の念を込めてパルティータの呼称を使用しているのであるが、何とも奇天烈なパルティータである。しかし、このグラーベは今コピーしようと試みても非常に難しく、おそらく即興とベタ譜とゴチャゴチャに混ぜてあるからかと思う。後半にかけて今ではやらないコードプログレッションが見られてそこのギターのフレーズが美しく、心に突き刺さってくるようだ。

03 メヌエット
当時はさっぱりうまく行かないというので、捨て加減の作品だったが、今聴くと凄まじいリズムとフレーズの実験がこれでもかと詰め込まれ、まるでメシアンバルトークストラヴィンスキーが交差しているようでもある。そこに調味料としてザッパを少々降りかけるとこんな感じになると思うが、今のところこれをコピーする気分にはなれない。体力を付けてからとしたい。

04 ジー
音大の期末課題曲で弾いたパルティータを思い出して作曲した、テーマがはっきりした作品。ドラムの田辺君のお気に入り。ジーグが好きであることって、こういうことか!って分かる作品かも知れない。珍しく独特なラインを描き、それはどこまでも音楽的に歌わせる。この作品は捻くれずに真っ直ぐに音に向かった曲だった。作曲も当時はまだ調律もやってもらっていたヤマハのグランドピアノ、愛用のG3で弾いたもの。生ピアノで作曲した作品は他にネオクラシックダンスやスパイラルがあるが、やはりハッキリとしたテーマ性を持つ作品になる、という印象。

05 スパイラル
自分の作品中、最も大きく。ウドの大木と呼んでいる。ハードルはそれなりに満載でこれをライブで最後で演奏することが多い。おそらくスパイラルを演奏しなかったライブは一度もないと思う。途中に大きなミニマルパートを持たせているのが特長。ミニマルパートの殆どが変則的なリズムを下地にしており、この作品のポイントとなるが実はそこにたどり着くまでの展開部にとてつもなく難しいソロパートがあり、聴き手にとっては逆に楽しめる。改善を重ねてとにかく修正の山を築いて来たが、流石にそろそろゴールが見えて来た。

06 記憶
本作はFLAT122の中にあって、珍しくシンプルでスローテンポで終始する。タイトル通り陰影が深く、旋律とハーモニーを前面に出していく。リズムも6拍子を基本にイレギュラーを徹底して排除し、真っ直ぐに突き抜けていく。本当はこういう作品がもっと必要ではないかと思う。シンプルな作品だが、だからと言って演奏が簡単、というわけではない。繊細なタッチ、丁寧に向かっていく抑揚が不可欠。記憶ほど旋律に重きが置かれた作品はないように思う。

07 メマイ
平田(ギター)の作品となる。目眩は僕が命名したタイトル。あまりに演奏が難儀で目眩がする!というのがこのネームの由来。実際、曲のイメージも目眩と言われれば近似している感もある。5拍子を基本とした強いリズムに、緊張に溢れたラインが流れていく。かなりエグい描き方だが、根底に新古典派の流れも感じさせ、一度聴くとしばらくは頭の中を高速で駆け巡る毒性の強さが売り。

08 夏
これはミニマルミュージックで終始させるという徹頭徹尾、虚飾を排しイメージ表現にミニマルをツールとして使うという内容。作曲者は平田(ギター)でこのメマイと夏を聴くと川崎との明確な方向性の違いが炙り出されて興味深い。個人的なところでは全8曲中、最もオリジナリティが高く、他とは明確に線を引くこの作品に好感を持つものです。

流石に8曲分コンパクトにまとめましたが、2000W超えました!動画と合わせてご参考にしていただければ嬉しいです。
ビデオデータは画像はご覧の通りですが音は十分生きており、聴いて楽しめるものと思います。
FLAT122・HPのトップページ最下部に表記のメールアドレスに、
タイトル「FLAT122ビデオ販売の件」として、
本文に、お名前、DLしたい曲(もしくは全数)を明記して送信してください。
ご案内を返信いたします。

http://flat122.kane-tsugu.com/FLAT122/FLAT122.html

ブライアンブレイド+FS「Season of Cnages」

ここにバンドの理想があると思う。

長いバンド名なので、タイトルでは略しておりますが、日本語で「ブライアンブレイド+フェローシップ」となります。ブライアンブレイドはジャズ・フュージョン系のドラマーで大変な売れっ子です。先頃お亡くなりになりましたチック・コリアとも演奏活動しており、Youtubeなどで聴くことがが出来ます。
僕はこのバンドより、セッションドラマーとして先に知りましたが、おそらく彼の本質はこのバンドに集約されていると言って良いかと思います。
セッション時のプレイと比較すると若干大人しく、作品に寄り添ったアプローチに終始しておりますが、それでも例の抑揚の大きく音に繊細に反応する聴いてすぐ、それと分かるアプローチは変わらず

"ブレイド節"聴くことが出来ます。というより本作はバンドとしてのひとつの塊、バンドとして何を言いたいのか?ということにメンバーが朴訥に誠実に反応しており、自分の演奏家のスタイルやテクニックはあくまでも作品イメージの下に置かれるという音楽の在り方を強く感じます。
こういうバンドの在り方はプログレで言えば「ピンクフロイド」辺りに通じます。聴いて思うのは音の向かう方向がイメージ、空気感というのか、そういう音楽の技術とは全く異なる次元で勝負しているということです。うちの息子が小学校の頃、隔年で全校音楽会というのがり、僕はそれを楽しみにしておりました。子供達は彼らにとっては少し難儀な課題に取り組み、それを父兄達の前で各学年毎にオーケストラを組み、披露するのですが息子は担当楽器の花形・パーカッションを演奏するのに随分入れ込んでおりました。数人なので、オーディションが生意気にあったりして、、笑
純粋で無垢な子供達から奏でられる音楽に、いつもどこかで涙が止まらなくなり恥ずかしくて、大変な思いをしました。
そして、この本作「ブライアンブレイドとその仲間達」の作り上げる音楽は正に、共通したものを感じさせる。
聴くとすぐに、アメリカの風土というのか「土の匂い」がする。でも、それが変に泥臭いわけでもなく、飄々と進められていく。「インディアンは、草木や石ころにも魂があると信じている」と聞いたことがあるけれど、そういうことをふと思い出させる作用がある。音楽的なイニシアチブは間違いなくピアニストだと思うが、各プレーヤーはその持分の中で表現への構築に貢献する。自分のキャラは、しかし出さないということでもない。特にサックスプレーヤーのラインの取り方は良いと思う。かつてクラシック界のマエストロ・カールベームにオーケストラにとって最も大切なことは何か?と尋ねたところ「合奏すること」と応えた。何と深い言葉だろう!と思う。音楽家の共同作業において自分の我儘や、頑迷なところは確かにあるのだけれど、それをコントロールして作品に向かうことになる。曲によってブライアンブレイドは、少しコンプレッサーを強くかけたシンプルな8ビートを叩いている。彼はそもそもジャズという範疇に収まらない部分のあるアーティストだけれど、このちょっとしたところにも、自由で大らかな発想が垣間見える。彼らのアルバムはどれを聴いても大丈夫。どうしても似通ったところはあるけれど、サウンドを含むアレンジ、アプローチはやはり異なります。一聴して似た感じがするのは、幹のシッカリとした音楽の特長です。ベートーベン、モーツァルト然り、ショスタコーヴィチだってそうです。久しぶりの保証付?オススメです。

偏見に塗れた国内女性ヴォーカルベスト10

たまには、こうした企画も良いものです。
タイトルに偏見と入れましたので、相当数の反対意見や異論は想定内です。
何だか下手な英語の訳みたいな文になっちゃいました。
では、行ってみましょう!!

 10位 キャンディーズ
シュープリームスの日本版を狙ったのですかね?全く似ておりませんが、、笑 しかしジャニーズのハナタレ小僧達のろくにハーモニー出来ない具合と比較したら天と地(by 羽生結弦)の違いがあります。またキャンディーズのハーモニーは独特な柔らかな響きがあって個人的には魅力があると思います。10位は妥当でありましょう。

9位 ちあきなおみ
ちあきなおみは「喝采」と「タンスにゴンで説明はOKでしょうけれど、芸幅は広く実に様々な歌にトライしております。例えば森山良子の定番である例のさとうきび畑もカバーしておりますが、こちらの方がずっとよい(個人的見解)ちあきなおみ、と聞いただけであのレコード大賞の時代へとワープする自分です。この人の声は他には見当たらない感じ。おそらく歌い方も独特なところがあるので合間ってそのように受け止めるのだろうけれど。キャラに隠れて見逃されがちですが、実は音程の取り方がとても正確なところも二重丸です。

8位 さねよしいさ子
ご存知の方は極少と思いますが、実際に三茶の某ライブハウスで共演しましたので、直に生・才能に触れております。一説に譜面が読めないということですが、何かの冗談でしょう。絶対に信じません。因みに彼女のバックを務めていたのは栗コーダーカルテットでした。ハイトーンでこんなメロを歌うか?というほど面倒なラインを歌える奇才と言えるでしょう。

7位 前野曜子
「別れの朝」これ1曲でここに入れたわけです。この曲は当時子供の自分にはえらくお洒落で洋楽っぽく(笑)聴こえたものです。これは朱里エイコもカバーで歌っておりますが、流石の前野曜子もテクでは旗色が悪い。しかし、それでもこの人にしかない暗い色合いがたまらない。現代においてはまず居ないタイプでしょう。

6位 荒井由実
本当はもっと上位にあげたいところだったのですが、最近インスタグラムでそのセレブぶりが注目されており、高校時代の淡い思い出がぶち壊されたので悲しみの6位となりました。実に心の小さな管理人です。しかし、アーティストなるものあまり生活面を大ぴらにするものではない事例かも知れません。音楽家にとってリスナーはうつろいやすく無情です。ベストアルバムは迷わず「ミスリム」ですね。

5位 朱里エイコ
単にヴォーカル(声)だけであれば1位と張り合うでしょう。その特長は官能的なハスキーヴォイスにあり、若干(本当に少しだけ)エンヴェロープが遅れるところがグッとくるのです。例えば、和田アキ子さんの持ち曲「あの鐘を鳴らすのはあなた」を歌っておりますが、全く相手にならない。晩年は病気と薬の副作用なのか太ってしまい、若い頃の見る影もありませんでした。歌う場所を探して随分と苦労されたようです。知っていたら無償援助したのに。「何、、この変拍子!!歌えない!!」って叱られたことでしょう、、笑

4位 大貫妙子
大貫妙子はヴォーカルとしてもさることながら、やはりシンガーソングライターという肩書きがもっとも似合うアーティストだと思う。そのハーモニーや旋律にはこの人だけの確立されたスタイルがあり、演奏を聴いているような錯覚に囚われることがある。ライブでMCを聞いたら、ヴォーカルとしての声とは大きく違ってドスの効いた低域に「おおっ!」と少しビックリ。比較すると前期から中期の方に作品の良さが偏っている傾向があるような気がします。ベストアルバムはそういうことで、、
「ROMANTIQUE」になるでしょうか。

3位 カルメンマキ
おそらく聴いた回数が群を抜いていると思います。自分が好むのは1stだけあり、またこれで十分と。このアルバムから、どれだけの影響を受けたかということになります。カルメンマキって迫力があって中低域で聴かせるイメージがあるけれど、実は若い頃の高い音程での声がとてもキレイだった。今もたまに聴きたくなるけれど、ウォーキングのお供には向かない音楽です。このサイトでもページがありますが、昭和の火傷するような熱い時代がそこに在るって感じ。余談ながらこのアルバムの深町純さんのキーボードプレイがカッコいい!!

2位 Phew

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オリジナルということで言えば間違いなく国産屈指の音楽家でしょう。

Phew聴き手の踏み絵みたいな人です。これが最初からダメな人、何これ?と言いながらハマっていく人、どちらかしかないでしょう。
最も好むアルバムは「A New World」です。こういうキャラのアーティストが日本て国にいることが奇跡。独特な上ずったような音程感、サンプラーで固めた電気サウンドにはシンセを安易に使った表層的な音をあざ笑うかのように堂々として突き進む。予想もしないような言葉で語りかけて来る、混沌の美ともいうべき世界。是非、あなたも。

1位 吉田美奈子

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今、また聴いているということもあり迷わず女神・吉田美奈子を1位としました。ベストなアルバムは「TWILIGHT ZONE」荒々しく空気感を感じさせるサウンド、生々しい声。その声は、透明感のあるなどという使い古された形容ではとても。言うなれば僕の好きな楽器、クラリネットと似ているかも知れない。高いところでの本当にキレイで伸びやかな線、低域の少し金属質なところが感じられる太く趣きを感じさせるところ。また細かなアーティキュレーションの使い方にも優れて、吉田美奈子が他のヴォーカル達とは全く違った次元を持っていることが分かる。ただひとつ、バックのセンスに左右されず、もう少し自分の世界、本来的な心に横たわるイメージを表現してほしいと思います。

*ということでようやく書き終えました。今、加筆修正しておりますが既に僕のサイトとしては多くの方に読んでいただき、嬉しいです。自分のライブより何かこのサイトの方が安定した人気があるように思うのだけれど、少し複雑な気分(笑)今、入れておけばよかったという変態ミュージックが数点ありましたので番外編的に変態音楽ベスト10てのを先々力筆しようと思います。引き続き、よろしくお願いいたします♫

ソニックユース「Daydream Nation」

キム・ゴードンが好き!なんて変わってるかな?

ソニックユースを初めて聴いたのは、もう20年以上前です!
ユース歴長いです。
これまで、このサイトに登場させなかったのが不自然なほど。
おそらく僕の周囲は、こういう路線はイメージしていないと思いますが、とことん好きなバンドと言っていい。本日のネットニュースで「こけしDOLL」のベーシスト・中鉢さんがお亡くなりになったことを伝えておりました。僕はこのバンドは何と!知りませんでしたが、Youtubeで少し聴いてみたわけです。曲によって好みの上下動がすごく、ちょっとダメと凄くイイが混在するのですね。珍しいバンドです。バッチさんのベースがとても気に入って、知ったばかりなのに随分悲しくなりました。ご冥福をお祈りいたします。僕があの世に行ったら是非セッションさせてください。
さてソニックユース、、、。
こけしDOLLを上記のように、聴いていると自然にソニックユースを聴きたくなったわけです。どこかに共通したところがあるのかも知れない。
ソニックユースのアルバムは一応本作をアップしましたが(乱暴な物言いですが)どれでもOKではないかと思います。個人的な好みは、意外に初期の代表作とも言われる「Bad Moon Rising」なのですけれど。バンドの要素として好きな部分が多く、なので飽きることなくここまで来ました。無理やりどこが?と言われれば「音」と答えると思う。音が無茶苦茶カッコええ!!と。
ソニックユースのファンはそれは入込みが大きいですが、まず間違いなく音に参っていると断言出来る。斯様にこのユニットのサウンドは他に例がない。音楽的なところで言えば、なんだか上手いのか下手くそなのか分からない。不器用なのかな?と感じることは多いだろうか。でも、不器用だから良いわけだから。
誰かが言っていたけれど、中途半端で曖昧なのがカッコいいのだと。
でも、それは実に上手い表現。
以前、マレーシアに旅行した時、ホテルのテレビを付けたら偶然、テレビ局でのライブを流していたのだけれど、その曲の終わらせ方が失敗してしまって、えらいズレた尻切れトンボ状態、メンバーが「あれ!!誰が失敗したの?」みたいな顔を見合わせて、それがぶっ飛んだ。「この無様具合、カッコ悪さ、実に笑えて愛嬌だな」と。
ああ、これがソニックユースなんだよなぁ、、って。
個人的にサブタイトルにあるようにベース+ヴォーカルのキムゴードンのファンです。どうもベース弾きには合わないキャラ、出で立ちで、生活に疲れた中年女性という風情がたまらなく惹かれる(笑)しかしながらどのアルバムにおいても、彼女のヴォーカルはこのバンドにとって必要なのであり、もしソニックユースに紅一点のキムがいなかったら存在自体がヤバイでしょう。
ギターの使用するコード、音使いにえらく変なところがあり、しかしそれがとんでもない表現力につながっている場合が所々に確認される。ヨレヨレだったり、突然凄い音楽性を発揮したりする、実につかみどころのない変なバンド。バンドってのはこういうのをバンドというのじゃないかな。拙いところがあっても、とことん自分の音を信じて音を発する。芸能界という僕には理解不能な業界がある某国の文化状況では出現し難いタイプ、それだけに僕はこれからも彼らの音楽に触れていくと思う。

 

FLAT1-22「In Spirit」を自己評価する!

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自己評価ってのは案外難しい?

結局1年と少しばかりの時間をかけて完成にたどり着いた珍作ってわけです。扱うCD店での評価も徐々に上がってきております。本作の分かりやすい特長としてはハッキリと歌モノを入れていることでしょうか。ヴォイスとか即興とか、そういうのではなく普通に歌モノ。
ポールマッカートニー&リンダじゃないけれど、嫁に歌わせました。小日向あかね、とクレジットがあるのがそれで、この名字と平仮名のバランス、イメージが素晴らしいお名前。昔、浅川マキさんに、このまま芸名で使える素晴らしいお名前ね、、と言われたほどのモノです。私のどこにでもある名前とは比較にならないわけですが、彼女の歌も捨てたものではない。まあ、聴いてあげてください。好みは分かれるとは思いますが。

worlddisque.blog42.fc2.com以前本サイトでFLAT122、1st「THE WAVES」を自己評価しましたが、それ以来の自作レポートです。楽曲は4点を中心にしております。Spiral、Matsukura Snow、Tunnel Vision、In Spirit。こちらに小曲2点+歌モノ1点で支える形。
また2020年2月2日・シルバーエレファントライブ収録から、Tunnel VisionとIn Spirit(ライブ版)のデータ使用があります。全体イメージに大きな影響を与えているのが、1曲目に配置された「Matsukura Snow」の冒頭であることは確かです。この冒頭はイメージ表現として上手くいっている方ですが、しかし本編のテンポが早過ぎたきらいがあり、そこはどうなのだろう?と今も疑問点のひとつです。
FLAT122アルバムの伝統とも言えるSE(サウンドエファクツ=効果音)の多用は今回も踏襲されており、ザクザクと雪を踏むSEの上に冷たい風の音が重なる世界は、自分が暗い雪模様の中を彷徨う姿。演奏は、Tunnel Vision はこのバンドの先を占う作品ですが、おそらくまだ完成されていない途中の状態を切った音がここにあります。小曲4点+後奏から成立させるところは曲げられないルールとなりますが、例えば「Spiral」などと比較すると完成の形がまだまだ見えていない状態。それでもライブから切ったり貼ったり編集は天然カラーの世界で(聴き手によっては)楽しめるかも知れません。タイトルのIn Spiritはスタジオ版とライブ盤を離したトラックで配置しておりますが、全く内容が異ります。ポイントはどちらもベースになります。ここではベースの太く地を這うようなサウンドと突き抜けたフレーズに耳が行くはずです。Spiralは1stアルバムにも収録がありますが、アレンジがシンセ多用により違った着地点となっておりました。これを本来のアレンジに戻して、このアルバム中では唯一ピアノのみで勝負しました。ピアノで弾き通すのであればこの作品においてない、ということです。バンドの演奏としては若干大人しく、もう少し引き出しの多いカラフルな演奏、突き抜けたところがあればと思いますが、行儀よくクラシック音楽のようなアプローチを好むのであれば、これでも良いのかも知れない。小曲はどれも1、2分で終わる箸休めみたいなもので、気軽に聴いていただければと思いますが、ピアノソロとして入れた「One Image By Maluti Layerd」が個人的には、このアルバム中最も自信があります。若干ミスタッチまでは行かない引っかけがあるのですが、それでも二度とこのようには弾けない一期一会の世界であり、この辺りがイメージ表現と言って許される境界線と思います。自分が理想とする現代的で冷えた気持ち良さのある見通しの良い音楽。敬愛してリゲティから学んだ響きが自分なりに出せていると若干ですが自負しています。
全体としてやはりというか散漫、脈絡のない印象ですが、好き勝手に制作するアルバムは自分のキャラをもろに投影するのですね。苦笑いするしかないです。ジャケットの写真は福田静二さん撮影、本人から使用許可を得て使わせていただきました。1972年釜石駅前のモノクロ写真で、製鉄所の景色がとても雄々しく最初にネットで見て即連絡、快諾を得ました。この写真がカメラに記録された時、当時この町で生きていた僕は時間を共有(シンクロ)していたわけです。時間の不思議を感じるところです。

ケイトブッシュ・AERIAL / 自然、ため息が出る

自分にとっては「Hands of Love」の延長線上にある?

これまでの彼女の作品の中では上記小見出「Hands of Love」が突出した存在だった。
このAERIALの存在は前々から知っていたけれど、2枚組でしょ。恥ずかしながら、作品数の多い作品はビートルズを例外としてあまり好まないタイプなので敬遠していたのです。クラシック音楽でもマーラーなんかは音楽としては素晴らしいけれど長過ぎてもうげっそり(笑)やつれてしまいます。
勝手なもので、自分が演奏する側であれば、アンコールは喜びますが、聴く側としてライブに行くと「もう帰る!」と心は既に帰宅モードに入っている。アンコールを望むのは余程なことです。もう少し聴きたいな、、と思ったのは、大昔聴いたゲルニカのライブですね。神保町の教育会館ってところでやったような記憶がある。チェロ+ピアノ+クラリネット+戸川純ですね。戸川純のMCがこれまた楽しくて、、酷い脱線なのでここまでで。
さて、、人には音楽体力ってのがある思う。肉体的な持久力とは別に。僕にはこれがが不足していると感じます。音楽容量のすごいお客さん達はライブのハシゴして喜んでアンコールしてますから。
お酒と一緒でアルバムも自分の適量があって、耳が弱いのかデカイ音で長く聴けないところがあるかも知れない。
しかし、本作はケイトブッシュでありますから、ビートルズホワイトアルバム」以来のアプローチを決めて聴いてみました。
結果は、タイトル通りであります。
これは、自分の中でのベストであった「Hands of Love」と並ぶ存在ですね。
DISK1・2とその時に応じて適当に選んで聴いておりますが、同等に力作が並んでいる印象です。
電気類を使っている方だと思いますが、ピアノにも重きがかかっており彼女はピアノが無視出来ない、というか単純に楽器として好むところなのでしょう。普段からピアノと共に音楽に向かっているのかも知れない。本作の隠れた聴きどころであるピアノの音質。これが何とも品格があり、良い仕上がりになっております。ピアノの入っているCDアルバム、ご存知の通り古今東西星の数ほどありますが、これほど自分にぴったり来る音はないな、、と。
普通に生ピを使ったのではないような、気がするのだけれど。数年前にピアノ音源としてリリースされている、スタインウェイサウンドに近いだろうか。確か、チック・コリア からライル・メイズまでレコーディング現場で使ったという名器があるのですが、その音源を思い出しました。
もしこれが生ピだったとしたら、レコーディングが鬼のように凄いということになります。
シンセやSEの使い方、カラフルなヴォイスの多用は本作の特徴ですが、特に鳥の声とヴォイスを同期させたところが面白く、もしかするとメシアンの「鳥のカタログ」を要素として取り入れたのかも知れない?などと推測して楽しくなります。
黒子に徹するシンセ類のシーケンスパターンだけを取出しても、とても凝った音と抑揚を持っており、そのパートだけを取り出して聴いても魅力的な力があるように思う。白玉で鳴らすオーケストレーションも、その出現の仕方、極美とも言える質感とキャラの立った音使いは他の類似した音楽とは一線を画しているのでは?と思います。
他作品との比較でハッキリと上を行くのがリズムセクションの音楽内容です。これはオンするときのフィルインひとつ取っても、刻みのハイハットやライドを取っても言えるところで、この辺は彼女自身のセンスなのか、関係したアーティスト、アレンジャーなのか、判断出来ない部分です。しかし、その作業を誰がやったことであれ、彼女の"確信と指示"が入っていることは間違いない、だからこそ曰く言葉にはし難い「あの世界」はいつも一貫している、ということになります。《加筆・修正 2020.10.18》