ピアニスト・タカの脱線CD評

筆者はFLAT1-22・天然キーボード奏者の脱線転覆の珍説が脈絡なく展開!

三宅榛名+高橋悠治・Ⅱ 1980年代作品集

万人向きではない!という言い方になるのか?

こういう類の音楽ばかり聴いていた時期というのがあったように思う。先ほどCDを置く棚をボンヤリと見て、これまで自分が買ったCDで特にキャラの強いものを選んで評を書いてみようと思ったのであります。本作は分類としてはクラシック、それも世の中において「わけがわからない」と言われる最右翼の現代音楽、その中でも更に「訳のわからない」ランキングではそこそこ上位に行きそうなタイプということになると思います。
聴き手の基準など在ってないようなものですから、これを「いやぁ、、この人達としてはポップな方じゃない」とさらりと言う音楽ファンも稀にいらっしゃるかも知れません。
三宅榛名高橋悠治もこの国を代表する、と言って差し支えない作曲家・ピアニストと言うことになります。個人的な印象としては三宅榛名の方がより作曲家のバランスが大きいイメージがありますが、あくまでも僕の感じ方です。
実際どちらも大変な技術があることは、広く知られるところです。
ピアノを弾きまくって、とにかく押し倒されたいと言うM気の強いマニアには、支持される可能性はあります。
高橋悠治は、実際に演奏を聴いたことがありますが、音楽のやり方を多く持つ人なので、アルバムもライブも聴いてすぐに判断するのはダメですね。音楽ファンは意外なほど多いですが、評はその活動の多彩な内容とシンクロして賛否両論であることが多いです。僕としては、バッハをシンプルに弾くバッハ弾きの高橋悠治が最も好きです。僕が聴いたライブでは、ローランド社・S50という当時キーボーディストなら皆欲しがったサンプラー(波形をモニターに映すことが出来たところが憧れでした!)を駆使しておりましたが、残念ながら僕にはつまらなかった。当時、期待が凄過ぎた、というところもあるでしょう。
三宅榛名は、この名前が旧海軍の名鑑と言われる高速巡洋戦艦「榛名」と同じネームから惹かれるところがありましたが(一応、言っときますが私は間違いなく平和主義者です、笑)その才能と作品力はもしかすると高橋悠治を超えるところがある!というのが個人的見解です。憶えておられる方はもはや少ないと思うのですが、昔TVドラマで「父母の誤算」という今ではあり得ない問題意識の高いドラマが放映されておりました。役者さんでは確か利重剛が出てましたね。そのタイトルバックを三宅榛名が担当しておりましたが、その音楽が何とも魅力的で、今もってその音楽の影響下にあります。ミニマルミュージックの扱いでしたが、それは誰とも違うもので、次第に音楽がバランスを失い、壊れていく様は、驚くほどのアイデア、奇知を感じたものです。

この二人がピアノデュオでリリースしたわけですから、当時迷わず買ったに違いないです。その割には聴いたのは数回のみです。それはそうでしょう、今聴くとそれはよく分かります。
このアルバムの聴き方は、全てを心より気に入ってリピートするというのは難しいと思います。
本アルバムはどちらかというと後半に行くほど僕の好みに近づくようです。
「ポエム・ハーモニカ」で「おっ面白い、いいじゃん!!」となり「オフェーリアの歌」と「ほほえむ手」は素直に入ってくる。
これは、聴き手によって、違ってくると思います。また同じなのでは何か「変」という気がします。
このアルバムは聴き手のことなど欠片も考えていない。何かドえらい強力な確信を持って鍵盤を押している、という雰囲気が伝わって来ます。掲題の通り、間違いなく万人向きじゃない、でも興味が沸きましたら是非。