ピアニスト・タカの脱線CD評

筆者はFLAT1-22・天然キーボード奏者の脱線転覆の珍説が脈絡なく展開!

対バンはよく考えてから?「る*しろう/8.8」

まずもって同じ土俵には上がりたくない!

幾度が対バンをさせていただいたことがありますが、まあこのバンドを一蹴出来るバンドなんて居るのだろうか?
客としてライブを聴かせていただいたのはもう随分昔になる。このアルバムがリリースされる前ということだから。
確か高円寺のペンギンハウスというライブハウスです。先頃、マスターが引退されましたね。
このバンドの屋台骨は何と言ってもピアノの金沢さんの音楽世界に尽きるわけですが、ライブとなりますと菅沼さんのドラムの凄さが来るわけでして、偶然にも同じ編成でありましたFLAT122(という名前すらまだ付けていなかった新人でしたが。)など、足の爪先までも行っていない、遠過ぎるレベルの差。当時まだ3歳だった息子と嫁と聴きに行きましたが、帰り道は呆然として足が地に付かない感じ(笑)。嫁に「凄かったね!あんた大丈夫?」とか言われて「うーん、、、ちょっと、、。」と言うのが精一杯でした。当時、僕は10年近くバンドから遠のいておりました。しかし、急にバンドをやらなければならない!とフラフラと立ち上がったところで、出会ったのが昔フュージョンバンドを一緒にやったことのあるHでした。この「る*しろう」は彼に教えられました。同じ編成のユニットであれば、聴いた方が良い、、ということしたが、それは当然でしょう。しかし、そのショックがあまりにひどかった。これが本当の浦島太郎状態であり、しばらくは軟弱かつ出来の悪い脳が布団を被ったような格好でおりました。が、何とかユニットのヒントを得たのは、その年秋、トッパンホールで聴いた小玉桃さんピアノのメシアンでした。作品は「幼子20の眼差し」という超名曲ですが、僕はこの作品というかメシアンが間違いなく自分のバンド(音楽)においての要素というのかイメージとして必要ではないか?と考えたのです。その辺から次第に自分なりのベースレスギタートリオの形が見えて来た気がしております。この「る*しろう」も同じくベースレストリオとなります。ベースというのは実は音楽において最も重要かつ根幹を成すパートと言っても過言ではないでしょう。エレクトリックベースでも、オケのコントラバスであっても、その種類に関係なく。そのベースの存在がないというのは、大きなリスクを背負う事と引き換えに現代的なアプローチが行いやすくなるという利点があります。ベースの代わりは自ずからギターかピアノの左が受け持つわけですが、これは個人的見解ながらギターで低域を持たせるのであれば、これは最初からベースが在った方が良い、、ということになります。ギターにベースの代役をさせるのは僕は駄目ですね。サウンド的にも考え方としても。低域は(技術的には大変ではありますが)ピアノがガツガツと弾き倒すのがベースレストリオの定義でありましょう。ということで、本作も痛快なほどのピアノのゴリゴリとしたカッコいいフレーズが炸裂しており、これだけのギター、タイコに全く負けずにがっぷり四つ!!まるで走馬灯の様に蘇る大相撲「北の湖vs輪島」の全勝対決のような様相でしょう。

僕は本作の冒頭 "ソレイユ"(奇天烈ですがお洒落で素敵な作品です。)は勿論、全ての作品が耳に馴染み深く、まるでビートルズのアルバムのように身体に入っております。それくらい、その作品性というものに共感を持つものです。クラシック古典から近現代の影響は流石に濃いのですが、しかし、それだけではない得体の知れない有機質な才知を感じます。
この名盤8.8以降「る*しろう」は有り余る才能を制御出来ないかのように様々な実験と破壊を繰り返して行きますが、僕みたいな「る*しろう原理主義者」にとっては本作が最も耳辺りがよく、楽しんで聴けます。どの作品も面白く凄い。こんな音楽がもっと知られる存在であったら、、との願いもあってコレを書いているところがあります。余談ながら金沢さんは僕の後輩にあたりますが、その力の差は歴然!!音大時、サボってボーリングばかりやっていた僕ですから、勝負になるわけがない。こういうバンド、ピアニストが居ると知っていたら、どれだけ慌てて練習したか(笑)残念ではあります。